マスクをしている女性は軒並み美しくみえます。
ミロのヴィーナスの両手が失われていなかったら、いまほどの知名度、人気はあったでしょうか。
邪馬台国が人々の興味を惹き付けるのは、それがどこにあったのかがわからないからです。
明智光秀はどうして織田信長を殺したのか。
人間は謎に惹き付けられます。その性質は、マンガ、小説などに利用され、また、人間的魅力を作り出すのにも、意識する、しないにかかわらず、つかわれます。
唐突ですが、生物というものは、保守と革新のせめぎ合いです。いままでのやり方通りにすごしたいのが、すなわち保守で、新しいやり方を試したいのが革新です。
生物の進化というものは、ですので革新ですが、生物がそれを進んで選んでいるようにはあまり見えません。どちらかというと、追いつめられて、仕方なく進化していったように見えます。
これは、何か、わからないものに接したときの生物の態度がそう思わせるのです。
大抵の生き物は、未知のものに接したときには、何はともあれ、それを避けようと、いいかえれば逃げようとします。
これは勿論、人にも頻繁にみられる反応です。これは、そのほうが、それを理解しようとしたり、それに対抗しようとするよりも、生き残る可能性が高いから起こることなのでしょう。
しかし、おそらく、他に抜きん出るためにはそれでは不充分なのです。だからでしょう、いわいる高等生物といわれる存在には好奇心というものがあります。謎を避けようとするのではなく、謎に惹き付けられるのです。
どうなんでしょう、自然界との、また、他の生物との力関係で、高等生物たちは強くなり、逃げないで、それに向かっていっても大怪我をする可能性が低くなった結果なのでしょうか。
未知のものに対して恐れずに接することができ、それで自らが危険にさらされることが少なければ、その生物にとって様々な要素で得になります。(生活できるテリトリーが増えるかもしれない、食料の確保が容易になるかもしれない、など、他にもあるでしょう)
ここまでは、例えば虫などと、哺乳類の違いの話です。ここからは人以外の哺乳類と人との違いの話になります。
今日、テレビの岩合光昭さんの番組で例によって、猫の生態を紹介していました。
その中の一つで、寝ている猫の上に、ハンモック状の物のなかで寝ている赤ん坊がいたのですが、その赤ん坊がおねしょをしたのです。おむつがどうなっていたのか、していなかったのか、などはわかりませんが、そのおしっこが猫の横に滴り落ちたのですね。それに気づいた猫は起きあがって、滴りおちるおしっこを見つめ続けたのですが、その原因を求めて上を見上げることはありませんでした。
いや、この映像だけで結論を出すのは危険ではありますが、でも出しちゃいますけど、少なくとも猫程度までは、未知のものに対する好奇心はあっても、“原因と結果”、“因果関係”などを理解できる、または、理解しようとはしないようです。
これが霊長類になるとどうかは知りませんので、ヒト以外の霊長類とヒトとの違いはわかりませんが、この、“因果を理解する能力、または意志”がヒトと他の生物を隔てる違いの一つであるのかもしれません。