時事その他についての考察

武闘派、宮崎駿

考えてみてください、宮崎駿監督の作品の主人公たちは、いつも戦っています。勿論、それが冒険活劇といわれた所以ですが。

まあ、物語ですから、盛り上げるためにもそれは大切なことです。しかし、宮崎さんの場合はそれだけではない、守るためには戦わなくてはならない、という信念を伝えたいという思いを感じます。

トトロは特例として、戦闘という形で戦わなかったのはキキと千尋、ハウルですが、それでも、それぞれ、自分や自分を支配しようとする者と闘います。(ポニョと堀越二郎さんの話は観ていないので)

優しさの象徴のようなナウシカも、父が殺されたことを知ったとき、怒りに我を忘れました。

未来少年コナンのなかで、ハイハーバーが攻められたとき、村人たちは戦うかどうするかを決めるのに話合いをしました。結論としては村を守るために戦うことになるのですが、それを見ていたジムシーは、「あったり前のことを決めるのに、ずいぶん時間をかけるんだなぁ」と呆れていました。(これをジムシーに言わせたのは宮崎監督の一つの技のようなもので、コナンにはいわせないことで、そのイメージを守ったのでしょう)

これは、平和を愛する人たちであっても、いざというときには戦わざるを得ない、という宮崎駿さんの信念というがメッセージが込められている、と受けとらないわけにはいきません。またこれは、日本国憲法の孕む見過ごせない欠陥を訴えたものだと捉えないわけにもいきません。いずれにしろ、宮崎さんはリベラル然とした日本の文化人たちとは一線を画した存在です。また、作品以外では、ほぼ、政治的な言動をしていないのは、本人が望んでそうしている、というよりも、日本の言語文化のいびつな、リベラルな言論ではないと、公に語ることを許されないから故だと思います。(もう一つ、これはご本人に確かめて見なければわかりませんが、右翼的な言動をくり返す人たちと同じにされたくはない、と思われているのかも知れません。何度もいいますが、保守と右翼は全然、違うものです)

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