時事その他についての考察

SNSにおける暴言について

SNSでの発信方法を持つ、ということは、一つの権力をもつ、ということです。権力をもったもののなかに、それを乱用するものが出るのは必然です。

これに、倫理を説いてもほとんど意味はありません。勿論、なかには反省する人たちもおられるでしょうが。

普段、立派に仕事をこなして、世間話をしている限りは常識的な人としか思えない人のなかにも、差別的な考えをもっている人はたくさんいます。本当に、たくさんいるのです。特に韓国や中国に対しての偏見は根強いようです。

だからといって、ほとんどの人はその偏見をネットのうえで乱用することはありませんが、その予備軍といえなくはないのです。

対応するやり方はいろいろあるでしょうが、それぞれ弊害がでてくるでしょう。

・匿名での発信を許さなくする

→ストーカーの被害が増える

・暴言を禁止する

→例えばフィクションでの表現も規制することになる

・刑法の改正その他、何らかの方法で加害者責任をとらせ易くする

→ネットに公権力を介入させる足掛かりを与えかねない

などなど。万能なことなどはないので、何かにいいことは、他の何かには悪いことになるのは世の中の決まりごとのようです。

何年か前に過重労働がもとで亡くなられたかたがおられました。そのことは勿論、お気の毒としかいえませんが、その出来事がきっかけで生まれた、働き方改革、なるものは、今のところは、実利よりは弊害の多いものになっているようです。

結局お前はどうすればいいと思うのだ、といわれると答えようはないのですが。

一ついわせて頂くならば、他人の立場にたって考える、というのは、とても大切なことですが、同時に、本当に他人の気持ちになることはできない、ということも自覚しなければいけません。

できないものをできている、と考えてしまうと、人はそれを正当化しようとします。そうなるとどうなるのか、というと、むきになります。そうして、視野がせまくなり、正当化するためにつくりあげた感情や考えに執着して、それに反対するものには攻撃的になってしまいます。

ネット上で被害者に寄り添っているかの発信をしている人たちは正にその呪縛にとらわれているようです。

大変失礼ながら、経験上、そういう人たちのほとんどは、いざ、というときには逃げだすのです。簡単にいうと、信用できません。

さらに、冷静さを欠いているために、現実を変える役にはたちません。現実を変えるためにはクールな戦略が必要です。熱い心をもって、冷静に状況を見極めなければならないのです。その時に自分に嘘をついている人たちは、はっきり申し上げて、邪魔になるだけです。

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