時事その他についての考察

人材はいないのではなく育成ができていないだけでは

人材がいない、という話はよく聞きます。結論を先にいいますと、資質のある人間がいないのではなくて、それを伸ばす環境が整っていないのではないのか、と思うのです。

優れた人材というのは、それはそうざらにはいないのかもしれませんが、それにしても、ただ一人の人間がいなくなったからといって、国家や大企業の屋台骨が揺らぐなどというのはおかしな話です。大変、申し訳ありませんが、わかりやすいので例として日産自動車をあげさせてもらいます。

傍目には権力闘争としか見えない形でカルロス・ゴーン容疑者を追い出し、後をついだ人も三日天下よろしく席を逐われ、意志決定機関において絶対にやってはいけない合議制に移行し、しかし、一番、要の存在と思われていた人が他社にいってしまう、という、あまりにもあまりな体たらくに陥ってしまっています。(勝手な解釈をしてごめんなさい)

あれだけの会社なのです。リーダーの素質を持った優秀な社員だって、いないわけはないのです。これでは、そういう人たちがその素質を開花させる環境ではないのだろう、と憶測してしまいます。

余計なことですし、実現できないだろうことをいいますが、もう、日産はトヨタからでも、“とても優秀で意欲もあるけれども、社内事情で社長にはなれない人”をレンタルさせてもらえばいいのではないでしょうか。そういう人がいそうじゃありませんか、トヨタであれば。機密事項など、全部トヨタにばれちゃうでしょうが、会社が立ち直れるなら取引条件としては妥当なところでしょう。

またまた勝手な憶測ですが、国家でも、企業でも、トップが後継者を指名してこれを育てようとしたものの、最後にはその能力に見切りをつけて切り捨てる、ということが時々、見受けられます。これは、本当はその後継者候補の力不足ではなくて、トップの人が結局、その地位を譲る気持ちがないので最後には潰しにかかったことのほうが多い気がします。毛沢東などはその典型でしょう。

そうではなくて、純粋に後継者を欲しがって育てたい、または育ってもらいたい、という人たちもおられるでしょう。それでもうまく行かないことが多々あるのは、一口に優れたリーダーといっても、そのリーダーシップの表しかたは人それぞれであり、また、時代や環境によって違うのが当たり前なのに、自分のやり方と違うことは間違っている、と思ってしまうからなのではないでしょうか。後継者が必要な位の立場についている人であれば、基本的には優秀な人で、そんなことくらにはわかっているであろうにこんなことが起こりがちである、ということは、“禅譲”というものがいかに難しいのかが推測されます。自分の子供にではない限り、本当は譲りたくなんかないんでしょう。

あらためて、人間性などというものは大昔から全く変わっていないのだ、と思います。そういう場合には、個人に任せるのではなく、やり方、ノウハウをつくらなければ同じことがくり返されることになるでしょうが、今のところ、この分野でのそれは手付かずであるようです。

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