時事その他についての考察

秩序は様式を求める。または現代は乱世であること

・古代から近世、つまりは近代の直前までは様式を高めることが文化でした。(ここでいう様式とは、所作や立ち居振舞に限らず、身分制度、主従や親子、夫婦のあるべきありかたについての考え方などなど秩序を保つ力の全体を指します)

・それが行われるためには世の中が平和でなければいけないので、日本では、平安、室町、江戸のそれぞれの時代で広く行われたのだと考えられます。

《学識に欠けるので平安、室町のことはわかりませんが、特に平安時代などは文化程度もかなり高いですし、しかも長く続いたのでそう考えていいと思うのですが》

・ここではわたしでも想像力を働かせられる江戸時代を対象にして考えていきます。

・様式美の中心は武家社会であったでしょうが、江戸時代がそれ以前と大きく違うのは、庶民の間にも文化が根付いていたことです。

・特に職業的に様式美をいわば、“売り”にする人たちが多くでてきました。

・すなわち、歌舞伎役者、花魁、芸者、今でいう日本舞踊のお師匠さんなど。

・これら様式美というのはもともとは他人にアピールするために出来たものでしょうが、本人の精神程度も高く保たれるという効果もありました。

・そうして、江戸時代ともなると、職業人だけではなく、日常の立ち居振舞にも様式は深く浸透していました。

・それは必ずしも公家や武士階級だけではなく、庶民の間にも礼儀作法として広まっていきました。

・様式美や所作というものは、体の動きを指すものでしょう。しかし、それが大事である、と思う社会であるということは、社会のありかたや人の道といったことも様式化、つまりは(悪い意味ではなく、言葉通りの意味として)型通りになっている、ということです。

・それは日本では、ご案内の通り、儒教をもとにした道徳原理に基づいてつくられました。

・そうして、実は、道徳や愛情も型にはめられたほうが深い感情を感じられるようです。(今だって、テレビドラマなど、泣かせたり笑わせたりするのは大体がパターンに乗っ取ってつくられています。パターンになっていなければ安心して感情移入できないとまでいえます)人間なんてものは独自にはそんなに大したことを考えられるわけではないのでしょう。ですから、例えば男性は女を命懸けで守る、ということにして、女性は女性で心から男性に尽くす、ということにして、両者がその通りにすれば、心から慈しみあう美しい夫婦ができあがります。その具体例は山本周五郎さんの小説にでてきます。おそらく、山本さんは既に無くなってしまったそういう秩序だった人間社会に憧れをもっていたのでしょう。

今でも恋愛を主題にした物語でタイムスリップもの、とでもいえるものは沢山、つくられています。そりゃあ、立ち居振舞も鮮やかで、確固たる信念をもっている人たちは、男女の区別なく、魅力的に見えますので。

同じことは親子の間、主従の間にもあてはまります。勿論、現実はそんなに美しいばかりであるはずはないけれども、あるべき理想として皆が常に持っていたことだったのでしょう。西洋にも騎士道という言葉が残っているように、こういうことは近代までの安定した社会には共通する規範だったとも思われます。

近代というものの一つの(多分大きな)特徴は、それらの規範を、まやかし、建前、嘘として捨て去り、個々人の内面、個性が尊いのだとする考え方が主流になったことです。確かに一人一人が高邁な精神と向上心などを持っているのならばそれは様式美より美しく、高度なものであるのかもしれません。しかし残念ながら私たちはそんなに大したものではありませんでした。結局、近代というものは、人間というものが思ったよりがさつで、下品で、自分勝手で、知能も低い存在であった、ということを証明した時代になったのではないでしょうか。

歴史はくり返す ものですから、私たちはこれから、近代の反省をしてまた様式美を求めるのかもしれません。

というよりも、初めに“安定した時代にしか秩序、様式は生まれない”という意味のことを申しましたが、単純に現代は乱世である、ということなのかもしれません。

乱世と安定した社会は、くり返し、現れては消えていったものですので、これからの社会はなんらかの形をとった、安定社会に向かうのかもしれません。

《ここまで読まれたかたはおわかりでしょうが、わたしは現代社会が特に歴史上、特別重要な時代だとは考えていません。後の世の中の人たちにとっては現代も歴史のなかの一つの時代に過ぎませんので》

付記:近代以前の様式美というものは、人に魅力的に見せることを目的としてつくられ、しかし、そこには理にかなった合理性もあったものにみえます。

現代社会でも、職人の仕事ぶりにも型にはまった様式美といっていいものがありますが、これは、基本的には合理性に基づいたものです。しかしながら、やはりどこかに格好をつけている意識はあるはずです。これは職人よりも人に観られる仕事である、プロスポーツ選手のことを考えると合点がいきやすいのではないでしょうか。野球の投手のフォームというもの、打者のフォームというものは、それぞれ、いい球を放るため、鋭い打球を飛ばすためのもので、結果としてそれが美しく見えるものではありますが、そこにいくらかの格好つけが入っているようにみえます。イチローさんなどは確信犯的にやっていたように見えました。

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