今時の危機に際して安倍晋三内閣総理大臣はその対応に苦慮しているように見えます。その姿から透けて見えるのは当事者意識の欠落です。彼は“お仕事”をされているのであって、この危機に立ち向かっているわけではないようです。
唯一、仕事をされたのは世論の主張より早く休校を断行したことだけです。それも含めておそらく、官僚さん達のいうことを聞いて、良さげな案を取入れているのでしょう。平常時においてはそれでいいのでしょうが、緊急時には深い洞察と果断な決断が必要です。しかし、無いものは仕方がありません。
国民への緊急の給付金が手続きが面倒そうな三十万から(手続きの手間はウィルスの伝播の可能性を高くすることにさえ気付かず)少しは手続きとウイルス伝播のリスクの低い十万給付に変わったのも、その間のドタドタ劇も、そもそも安倍晋三内閣総理大臣にはどっちでもいいことだ、ということがわかっていればなんの不思議もないことです。
今になっても安倍晋三内閣総理大臣のおそらく、ただ一つの関心事は憲法の改正です。思いかえせば、東京オリンピックを盛りあげ、その余勢をかって一気に憲法改正まで持っていこうと思っていたのでしょう。その目論見が砂塵のごとく、消えてしまったのは気の毒としかいえません。しかし、そうなってしまった今でも、おそらく、それに変わる修正案を検討しているのでしょう。
それに比べれば新型コロナ云々というのは、いずれ終息するだろう、くらいの関心事であって、大体のことが官僚任せなのでしょう。
いっておかなければいけませんが、そんなに非難はしていません。官僚任せにしていればまあまあの結果にはなるでしょうし、そもそもすべては推測、それもかなり強引な推測です。仮にその推測が当たっていたとしても内閣の対応はそれほどは酷いわけではありません。亡くなられた方をはじめ、現実に苦労をされている方々には申し訳ありませんが、大体、こんなものでしょう。もしもこれ以上を求めるならば、それは為政者の責任というよりも、国民の責任、自覚においてやらなければいけないことです。
はたしてこのウィルスの脅威に晒された我々の運命は如何に。
また、安倍晋三内閣総理大臣はその生涯をかけた願いを叶えることができるのか。
今から一年後にはそれぞれの答えは出ているのでしょう。