時事その他についての考察

政府の批判は組織論でするべき

重要な情報はほとんど、現場にあります。決定権のあるトップの人間がすべての現場にいられるわけはありませんので政策が決まるまでの流れとしては、

①現場にある情報を吸い上げる

②吸い上げた情報から必要なものと不要なものを振り分ける

③必要な情報の取り組むべき順番(いわいる優先順位)を決める

④対策を考える

⑤対策を実行する

となりますが現場からトップまでは何段階もの中間管理者がいます。そのそれぞれが情報を集めて、それを要不用に振り分けることまではします。そうして、必要と思った情報を上にあげるのですが、ここにそれぞれの能力、思惑や保身などなどが絡んできてしまいます。

また、現場以外からも専門家や、いわいる有識者からの意見、提言もあります。

政策を決定する、ということはこれらを全部解決したあとで行われることです。

それに対して、私たちやマスコミ、政府との繋がりのない専門家などは現場からの情報や自分の見識だけをもとにして意見をいうわけです。しかも、自分で実際に行動するわけではありませんのでまず、責任をとるつもりはありませんし、命令が出されてから実際に行動されるまでの煩雑な手続きなどは全く考えません。

また、普通の組織は軍隊や警察ではないので上からの命令に必ずしも無条件に従うわけでもありません。

“遅い、遅い”と批判している人たちがその辺りのことを考えた上でそういっているとは到底、思えません。また、そういう人たちの全員がいま説明したことを知らないこともまた、考えられません。

以前も申しましたが批判がいけないとは全くいっていません。それが有用なものであれば政策決定者に対しても少なからずいい影響もあることでしょう。それでももう少しでも相手も人間であること、実際に行動しており、責任も負っている人たちであること位は考えて批判してもらいたいものです。それは必ずや私たち全体の利益になると思うのですが。

ここから少し違う話になります。本筋としては例えば安倍首相に対する 批判ではなく、素早い意思の伝わり、意思の決定がされない組織のありかたが批判されるべきであると考えてます。そうして、それはほとんどの組織が持っている問題であることは、組織で働いている人ならば(すなわち、私たちのほとんど) わかっているはずです。

自分のいる組織は駄目駄目なのに国の組織がそうであることは許さないというのは筋の通らないお話です。

“まともな組織”というのがなかなかないのは有史以来の人類の課題です。こういうのは結局は個々人の能力に依ってしまうもので、マニュアルを作っても限界があります。“組織論”といえばピーター・ドラッカーでしょうが、そのドラッカーが自分より前にはその問題に取り組んだ人はほぼいない、と書いています。ドラッカーがいわれるのですからそうだったのでしょう。しかし、ドラッカー後の世界もこの有様です。くり返しになりますが結局、個々の能力次第なので優秀な人が管理できる範囲の中でしか、いい組織というのは存在できないのでしょう。

そういう人にいい相棒がいればもっと大きな組織もできるでしょう。また、相棒が二人、三人といればもっと大きくもできるでしょうが、そういう人はざらにいるものではありませんからおのずと限界ができてしまいます。

軍隊や警察のような上の命令は絶対である、という原始的な組織がいまだに有用なわけです。

これは例えば電話、さらにはパソコンと情報を伝える、という点ではとても有用なものができてもあまり変わらなかったことです。

しかしながら、電話、パソコン、その他が全くいい変化を生んでいないわけではないでしょうし、これからも画期的な機器はつくられ続けられるでしょう。テクノロジーに頼らないことでいえばドラッカーの知恵もそうですし、“マニュアル”というものも画期的な発明であることはあります。つまりは少しずつでも良くなってきているはずです。

しかし、「まともな意思の疎通、まともな判断、まともな決定」ができるだけの 組織をつくることがこんなにも難しいというのはなかなかに情けないことです。大したことないですよね、人間って。

それも最もだとも思います。世の中に話の通じない人、というのは、結構、いらっしゃいますから。その人たちにもやり方次第で指示に従わせていい仕事をさせることはできます。しかし、判断を任せることはできません。そもそも彼らは情報の大切さを理解していません。(しかし、まだそういう人たちは善意の人たちなので組織には有用です。やる気がなく、サボタージュばかり考えている人たち、情報を自分の有利になるように曲げて伝える人たちなど、悪意の人たちも少数ですが組織には混じってしまうことの方がもっと問題でしょう)

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