時事その他についての考察

勝つのはいつも農民

今は新型コロナウィルスをめぐる危機の中ですべての人たちが被害を受けているような感覚があるのでそうはなっていませんが、近々必ず、この危機の中で誰それは汚い取引をして大儲けをした、とか、ある大企業が火事場泥棒のようなことをして本来ならば人々にわたるべきお金をかっさらっていった、といった類いの話が出てきます。

私たちは本能的にその手の話には強く反応してしまいます。そうして、怒りや嫉妬といったマイナスの感情に囚われてしまいがちです。

そういう感情を持つことには何か有効な意味があったのでしょうが、それは現代社会にあっては私たちに不利益になることのほうが多くなってしまっています。“そういう感情を持ってしまうのは人間の基本的な本能の一つだ”ということを自覚すれば、つまり、それを客観的に観ることができれば、それに捕らわれることも少なくなると思います。

成功者やお金持ちは自分でどう思おうとも結局は大衆の奴隷でしかありません。真の成功者はそのことを知っているでしょうけれども、中途半端な知性しか持たない人たちは知らないでしょう。少し前の郵便局のテレビCMで若い男性客がATMを使っているのを見た局員と客が、初めは「初任給って嬉しいもんだよね」(CMが流れたのがそういう時期だったのでしょう)などと余裕のあることをいっていたのが、その若い男性客が実は有名な新興IT企業の起業者である、ということがわかると「頑張って下さい!」と最敬礼して(離れたところでやっているので起業者は気付いていませんが)いう、というものがありました。このCMを作った人がわかっている通り、《ここからしばらく、以前書いたものと重複します》「成功した」ということは何かしら新しいものをつくったり、新しいやり方を確立したり、いずれにしろ、他からお金が入ってくる何かを考え出した、ということです。他者がお金を出す、ということはそのものにお金を出す価値があると思ったからです。つまりは喜んで出したわけで、お金を出す、というのは実は、(基本的には)得することなのです。他人に得をさせる、というのは他人に奉仕している、ということです。すなわち、成功者、お金持ちは大衆に奉仕する存在であり、言葉を変えれば大衆の奴隷なのです。黒澤明も「七人の侍」のなかで「勝つのはいつも農民=大衆だ」と志村喬にいわせています。

“それは、例えばマスクを買い占めて、高値で売り捌くよう人たちには当てはまらないではないか”といわれそうです 。確かに直接は当てはまりませんが、彼らにしても考え方によっては役割を担っている、ともいえます。

私たちの社会は勿論、完全なものではなく、沢山の矛盾、欠陥があります。 何らかの必需品が足りなくなったときにその買い占めを許してしまうのもそういった欠陥の一つです。買い占めによって儲けようとするものたちはそういった欠陥を警告しているものである、ともいえるのです。

私たちとしては、「ああ、ここを直さなきゃいけないなぁ」と認識してせっせとそれを直すのみです。これは、終わりのない戦いです。

“そんなことをいい出したら悪人などはいなくなるではないか”といわれるかもしれません。それでいいんだと思います。

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