時事その他についての考察

嘆いてばかりではなく、より良い未来のために

今、起きている危機が残すものはなにか。行政にたずさわっている人たちはそれを見据えて適切な再生政策を考えている最中でしょうし、経済人は利益の取りどころを見極めていることでしょう。つまりは 、それぞれがやるべき仕事をしているだろう、ということです。

まだ、終息の目処すら立っていない現在、その後を予測するのは難しいことですが、やらなければいけないことでもあります。

地球温暖化に関することは以前、述べました。私たちが充分賢ければ、これを契機に温暖化を止めることも可能であり、そうしなければならないだろうことです。(しないでしょうが)

一般論として言えるのは当然、儲けの少ないところから脱落していくということです。初めは業種ごとに受ける被害の割合は違いますが、経済が小さくなっていく以上期間が長くなるほど同じくらいのダメージを受けることになっていきます。

経済学者の中には将来を考えるとこれを良いことと捉える人たちもいるでしょう。例えばの話、立地のいいところに儲けの少ない店があるとします。そうして、その立地があれば、その店よりはるかに利益を出せる店がずっと不利な立地に店舗を構えなくてはならず、その結果本来の力量よりも少ない利益に甘んじなければならないとします。経済学者であればこれは全体の損失であると解釈するでしょうし、勿論、ある意味ではそれも正しいのでしょう。

例えば、大変に失礼なのですか、女性が一人でやってらっしゃる小さなスナックというものをまだよく見かけます。今の状態があとしばらく続いたら、あのお店たちは根こそぎ持っていかれるかもしれません。スナックだけではありません。とりあえず、生活はできるから、という理由で続けることができている店はたくさんあります。それらも大部分、やられてしまうでしょう。こういうものを効率とか、生産性などと言う言葉をつかっておとしめる発言は、正しいかどうかはしりませんが、小賢しい、表面だけを見た論説といいたいです。きれいに区画整理されて、碁盤の目のような通りと、狭い路地や行き止まりがあって、効率という点では全くなっていない道ではどちらが面白いか、ということです。どちらの道を持つ町がより豊かといえるか、ということです。

しかし、わたしが何を言おうと急速に淘汰は進んでいくでしょう。それはかけがえのない文化が失われることなのですが、同時に仕方のないことでもあります。私たちが幾度も経験してきたことでもあります。

いづれにしろ、世の中は進んでいきます。そうして、大きな変化がある時とは世の中全体がいくらかでもいい方向、または悪い方向に変わる、または変われる滅多にない機会でもあります。それを考えると私たちは今、かなり大切で責任の重いところにいます。申し訳ないですが、具体的なアイディアがあるわけではありませんが、皆でなんとかアイディアを捻り出してこの貴重な機会を有意義につかわなくてはいけないのでしょう。

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