随分前のことですが、日本の全国紙が社説で海外の事柄に対して(中東情勢についてだったと思います)、ただ意見をいうのではなく、提言をしているのを読んで、当事者達には伝わるまいに、と思ったことがあります。(失礼!)その時にさらに、日本人が、日本以外の国から得る情報というと、どこから来るものがあるか?ということを何気なく考えていてハッしました。
まずは「ウォールストリートジャーナル」や「ニユーヨークタイムス」つまりアメリカ。次に「タイムス」イギリス。「ル・モンド」フランス。「プラウダ」ロシア。「人民日報」中国。テレビですが「アル・ジャジィーラ」カタール。
おわかりかと思いますが、カタール以外は第二次大戦の勝者、五大国です。本来影響力のあってしかるべきドイツの新聞でさえ、わたくしは名前すら知りません。
これはつまり、政治的影響力も情報収集、把握力もいまだに終戦直後の枠組みがしっかり残っているということでしょう。(但し、日本もドイツも、それぞれの地域内では一定の力をもっていると思います)
日独の政権担当者の苛立ちも察せられるところです。
〔日独間でも事情はかなり異なります。 最も違うところは、ドイツでは、初代西独首相 アデナウアーから、飛んでメルケルさんも世界の政治に深く関わろうとし、また関わっていたことです。(エアハルト、シュミット、コール、シュレイダーについてはなにも知りませんが、少なくとも日本の歴代首相よりは能動的であったでしょう)〕
ここから話は変わります。日本の抱える大きな問題のひとつが、まさにここにあると思います。我が国の歴史を見れば無理からぬところもあるのですが、あたかも、日本とは切り離されたところに“世界”なるものがあると思っているきらいがあります。よくマスコミが、「世界に通用する」とか「世界レベルだ」などというのはその事をよく表しています。当たり前のことなのですが、“日本”は“世界”の中にあります。国民レベルでそれが普通に意識されていれば、同じ意味のことをいうにしても別の言いかたになるでしょう。(ここで別の言い方をすぐに思い付くことが出来ないのは、わたくしも立派に日本人だということです)
その結果として、他の国の厄災は全く受け入れられないといった意識を露骨に表すことになります。
移民の問題にしても、他国の労働力を受け入れるのは先進国の義務であるといった意識は、皆無です。(実際の政策でやっていることとは別の話です。ここでは私たち、国民の意識の話をしています)
全て議論は日本にとってプラスかマイナスかに終始します。
集団自衛権をめぐる議論が不毛なのも一つにはそれが原因といえます。いわく、集団自衛権を受け入れた結果、日本もテロリズムの標的になるのではないか?そこには世界の治安を守るのは各国の義務であり、日本はその重要な一員であるという意識は全く、ありません。
繰り返しになりますが、古代から、日本の都合で海外との交流をやったり、やらなかったりすることができた、古代からの我が国の歴史を見、また、先の大戦での大失態を考えれば、これは無理からぬことともいえます。(これは第一次世界大戦のあとの話ですが、講和会議上、五大国の一員として参加した日本は、自らと利害関係のあること以外は全く発言せず、欧米諸国をいらただせたのは有名です。どうも、本国の指示だったようです)しかし、これからはそれは通用しません。意識を切り替えることが必要なのですが、上手くできるかどうか。