《地に足がついている人》
地に足がついているように見える人は専門的な仕事に就いている人に多い気がしますが、専門職につくためには一般に二十歳位には一生の進路を決めなくてはいけません。ちょっと私には信じがたい、なかなか難しいことだと思います。そういう人は小さい頃から現実と向き合ってきたのでしょう。
《教育の骨子》
教育の神髄は教えるのではなく、可能性を引き出してあげることです。そうして、その究極の目的は生き抜く力を身につけさせることです。
《人にものを教えるとは》
ものすごく簡単な例をあげます。新しい環境に入った人に簡単なことを教えるとき、自分でやってしまっていませんか?そうして口で「これはここにあるからこうやって、このスイッチを押して」などと言っていませんか?
そうだとしたら、あなたは教育者としては失格です。どんなに簡単に見えることでも実際にやらせることが大切なのです。
誰かに何かを教えるときの主役は教える側ではなく、教わる側です。その当たり前のことが本当にわかっている人が所謂、教え方の上手な人なのでしょう。
《生きるのはそれだけで喜びなのですが・・》
幼児を見て下さい。生きる喜びに溢れています。
私たちに命があるというのは宇宙の成立ちを考えても、地球の歴史を考えても、とてつもなく幸運なことです。命とはエネルギーそのものであり、それを手にしているというのは喜びでしかないはずなのにしかし、そうは思えない状態であるのは実に不思議なことです。
《現代に対する絶対の自信は非科学的なこと》
たとえば、地理の専門家は伊能忠敬の地図は現代の測定でわかっている事実とこれこれしかちがわなかったなどといいます。しかし、今の測定が100%正しいという絶対の自信に対しては片腹痛いといっておきたいです。100年あとに2020年当時の測定はその時代の未熟な技術としては妥当なものであったろう、などといわれる可能性は考えないのでしょうか。伊能さんだって自らの測定にちゃんと根拠のある自信を持って、その大体の誤差だって頭にあったでしょう。
《太平洋戦争の敗因は物資量の違いではない》
太平洋戦争の初期、ダグラス・マッカーサーはフィリピンでの防衛戦が敗色濃厚になった時にオーストラリアに脱出しました。その後、パプア・ニューギニア戦を経てフィリピンを奪回するのですが、彼の回顧録を読む限り、少なくとも、ニューギニア戦までは日本軍のほうが戦力的に優勢であったらしいです。勿論、片方の言い分をそのまま鵜呑みにはできませんが、私たちが聞かされている日本の敗戦はひとえに物量の違いのせい、というのは事実とは違っていたと考えるのが妥当なようです。(精神分析学の岸田秀さんも根拠は忘れましたが同じことを言ってました)補給線が伸びきっていた、というのは勿論あるでしょうが、それも自らの戦略の結果です。また、各種、日本にとって不利な点を差し引いてもミッドウェイ以降は悲惨なまでの連戦連敗。これはマッカーサーなど、アメリカの司令官の戦略の巧みさだけでは説明がつきません。
多くの人が言っているように私たち日本人はその敗戦の教訓をしっかり学び、克服したとは言い難いです。日本人の戦略における稚拙さはしかし、国民性といえるものなのでしょう。これを克服するのは相当に難しいことであるならば少なくとも、自らのそうした性格を自覚することが重要となります。