時事その他についての考察

新型コロナウィルスの報道でがっかりすることと私たちの特性

新型コロナウィルスの蔓延を受け、テレビで街中の人にインタビューをして、困っていることや心掛けている対策その他を聞いているのを良く見ます。その中で二人ほど、自分がどういう対応をとればいいのか、政府の指示がないのが困る、と発言されていた人がおられました。(これは決して公共施設での取決めの話ではなく、個々人がどう振る舞うべきかの話でした)わざわざテレビの人が選んでインタビューする位ですからきちんとしていそうな方々でした。仕事などもきちんとこなされているのでしょう。

しかしながら、申し訳ないですが、大変に情けない発言であるといわざるを得ません。自分がどう振る舞ったらいいのかを人を決めてもらう、決めてくれるのを求める。そんなものはひとつの人格を持った人間の態度とはいえません。物事を自分で判断せずに、権威あるものにそれをゆだねる。これはまさしく、八紘一宇やアウシュビッツに繋がる道です。

こういう人たちが確実に居られる。それは動かしようがないことのようです。どうも教育その他で改善できる類いのことではない気がします。

そうであるならば、それでも八紘一宇を阻止する方法を見つけなければいけないとするならば、それはその様な思想が起きてくる状況を阻止する以外にはないでしょう。これは結構、地味な仕事です。問題が起きたあとにそれを解決するのは注目されます。しかし、問題が起きる前にそれを阻止してもほとんど評価されることはないでしょう。そもそも知られていないのですから。それは、先見性があって、早目早目に問題の芽をつんだほど、そうなってしまいます。申し上げるまでもありませんが、本当はそちらのほうが貢献度は高いのに。

この問題を考えていて、昔のことを思い出しました。今から二十年以上前にカナダへ行ったときの話です。びっくりしたのが、交差点に差し掛かった車が、赤信号で左折してきた時です。はじめはとんでもない無法者がいる、と思っていたのですが、話を聞いてみると、赤信号でも左折はしてもいいらしいのです。もうねぇ、ポンッと膝を打ちたい位でしたよ、あたしゃ。それはそうです。右折は勿論危険で、そもそもそれができるとしたら信号の意味すらなくなりますが、左折ならば、右側からくる車などに注意すればいいだけですから十分、安全にいけます。

それから、二十年。海外には多くの人が行き、わたしなどより実情はわかっているはずですが、日本で同じ決まりができる気はまったくしません。(もっとも、カナダ以外のアメリカその他の国がどうであるかは知りませんが)個人的には今や意味のない、原付の二段階右折はいい加減、廃止していただきたいのですが。ついでに書いちゃいますが、鉄製のマンホールは二輪車にとって、雨の、特に夜は滑って大変に危険なので廃止して欲しいです。

話がずれました。これは秩序をとるか、自由をとるかの選択でもあって、微妙な問題ではあるのですが、秩序を大切にしつつ、ほんの少しずつでも自由度を高めていって欲しいものです。

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