鵺、という例えが正しいかどうか、実は確証はないのだが。
話しをしていて自分の旗色が悪くなった時、まるで自分が初めから相手と同じ意見だったかのように言う人たちのことだ。
相手側が論理の欠陥を指摘したり、道義的におかしいのではないかなどと言った時、そしてそれがどう考えても反論の余地がなく、降参するしかなくなった時、相手の意見をそのまま認めるのではなく、まるで自分も前からそう思っていたかのようなことを言い出すのだ。
これは、怖い。
言っておくが、その時に「君はさっき違う事を言っていたではないか」などと指摘しても無意味だ。
絶対に、そのことを認めない。別に激昂するわけではない。ただ、知らん顔をするのだ。
言っておくが、くり返しそれを指摘しても同じことだ。
どうも、彼らを観察して思うのだが、これは本人も本心からそう思っているようなのだ。
くり返すが、これは怖い。
何十年も生きてきて直近の何年かでそういう存在(人、とは言いたくない)に二度、当たった。性別は男、年齢は一人は20代、一人は50代。
最近になって初めてそういう存在に遭遇したというのは、それまではそれに気が付いていなかっただけだったのかもしれない、自分がそういう存在が棲息する社会の階層に属するようになってしまったのかもしれない。
ヒト、と呼ばれる存在の内、どのくらいそういうものがいるのかわからない。それに当たってしまった時にはなるべく関わらないようにするのが賢明であろう。どうしても関わり合いになってしまう時にもなるべく付き合い方は最小限にすることをお勧めする。間違っても相手を啓蒙しようなどと考えてはいけない。まぁ何事も経験なのでやってみてもいいが、痛い目を見るだけだというのとは指摘しておこう。
しかしながら、もしもあなたがそういう存在に今までの遭遇していなかったとしたら、それは幸運でもあり不運でもある。
幸運である理由はいうまでもないだろう。不運である理由は、そういう稀有な存在を自分事として実感する機会を逃しているからだ。
そういう存在も生物学的には一応人間なのである。そうであれば、人間を理解するのにそれを避けて通ることはできない。できないというよりも、そういう極端な存在ことが人間を理解する鍵なのかもしれないのだ。