ビートたけしの若かりし頃、ラジオなどで語っていた、いわいるフリートークで、我々は毎度爆笑していた。
内容は、自分や周りの人たちの日常で起きた可笑しいことを紹介していたことが多かった。
それを聴いて我々は大笑いしながら、大切なことを学んでいた。
それは普通ならば悩んだり苦しんだりしてしまうようなことも、見方を変えれば笑える話になり、自分や他人を楽しませることすらできるということだ。
《ビートたけしが高名になるに従って、その交遊は有名で権威のある人たちにも広がっていった。そして、たけしはそれらの人たちのエピソードも可笑しく伝えてくれた。そのことは我々が、権威に恐れず、物事に挑戦しやすくなった、という利点があったが、同時に、本当に畏敬すべきものも軽視しがちになってしまった、という弊害を生むことにもなった。当然、これはたけしの責任ではないし、また、我々がそうなったのは、たけしだけの影響でもないが。そもそもビートたけし自身も学生運動などの影響を受けて自分をつくっていったのだろう》
だから僕はビートたけしの曲では、浅草キッド、よりも、たかをくくろうか、の方が、より好きなのだ。
しかし、自分の惨めな姿を客観的にとらえ、これを面白い話に昇華するというのは簡単にできることではない。
そこには、生きることを、自分の存在を賭けて前向きにとらえようとする確固たる決意がうかがえる。
ビートたけしと明石家さんまは盟友であるといっていいだろう。
明石家さんまの最も有名な言葉は、生きてるだけで丸儲け、だろう。これはビートたけしの生きる姿勢とよく似ている。
二人が盟友なのは、とてもよくわかる。