ジャンプ競技というと、日本人はよくヨーロッパの理不尽な規則変更のことを言う。
しかし、それは大相撲の世界が朝青龍や白鵬にしたことに似ている。
共に、力を持った者が自分にとって不利益となると考えた、もしくは受け入れられない異物と判断したものを排除しようとした試みである。
結局それは日本、ヨーロッパに関係なく、人間に備わった性質なのだろう。
《日本人は日本の受けた仕打ちのことしかわからないが、ジャンプ競技の中での日本叩きは、別に日本が異質な文化、民族だったからではなく、単に突出したものを他の国々が引きずり下ろす、という構図だったのかもしれない。ヨーロッパのなかでも突出した国が出てきたらその国を引きずり下ろすために他の国々が団結してルールを変えることも考えられよう。スイスなどは日本人と同じく小柄な印象があるので、もしもスイスが異常に強かったとしたら、日本が受けたようなルール変更に見舞われたかもしれない。逆に大柄な体格の国が突出したら、それに不利な変更を画策するのかもしれない》
《北京オリンピックでスノーボードの竹内選手の失格に対して日本側が抗議したが、スイスもその抗議に参加したことを喜んでいる日本関係者がいるようだ。喜ぶのは自由だが、スイスがそうしたのは、単にドイツを叩ける口実ができたからだけなのかもしれない。本当のところは知らないが、そういう競技運営の主導権を巡る駆け引きがあるのは確かなことだろう》
大相撲での、特に白鵬に対する仕打ちは、“品格”という言葉が口実になっていた。
それが間違っているとは言わないが、ルールのなかで勝利を追求しただけの白鵬にとっては、おそらく、今でも理解できないことなのではないか。
スキーのジャンプ競技のルール変更は、普通のジャンプ競技だけではなく、クロスカントリーと合わせた複合でも日本選手には不利な変更であった。
日本の戦略は、ジャンプで得点を稼いでクロスカントリーでは追い上げられながらも逃げ切る、というものであった。
しかし、それではクロスカントリーでの競いあい、という競技の醍醐味が全く抜け落ちることになる。
ジャンプのルール変更はヨーロッパにとっては競技の魅力を取り戻すための当然のものであったのかもしれない。