ニューズ・ウィークによると、今おこなわれている抗議デモにおいて、ホワイト・ハウス周辺での平和的なデモにたいして催涙弾がつかわれたらしいです。
ニューズ・ウィークの論説としては、それによって、すでに損なわれかけている、民主国家の牙城としてのアメリカの威信がさらに、回復不能かもしれないまでに失われてしまった、ということです。
本論に入る前に言っておかなければならないのは、ニューズ・ウィークはあたかも、ヨーロッパ主要国とカナダのすべてがアメリカに対する信頼をなくしたかのごとく書いていますが、実際に上げている具体的な例は、メルケル さんが、G7を、しかも表向きは新型コロナを理由として欠席する、と言ったことと、カナダの首相が失意の念を表したことだけです。
これらのことと、ド・ゴールから続く、フランスの対米不信を絡めて、あたかも民主国家全体がアメリカを見限ったかと読めるように書いていますが、それは誇張であり、失礼ながら、インチキな文章テクニックです。他を糾弾する文章の中でそういう、ろくでもない技をつかう、というのは、マスコミというのは、本当に、ろくでもないものだと言わざるを得ません。
それでも、まだましなんです。これは。
twitterでは、この記事は6/5の17時50分に発表されています。わたしがそれを知ったのはもう、0時近くだったので、きちんと確認してはいないのですが、何となく流していたNHKの21時のニュースでは、その話題を取り上げてさえいなかったようです。これは、政権に配慮した、というよりは、どうコメントしていいかすら、わからないからでしょう。非難するべきなのか、ある程度の理解をしめすべきか。
情けないとしか言いようがありませんが、世界の主要メディアなどの論調をうかがってから、それに合わせる形で報道するのでしょう。
それでジャーナリストだってさ。新聞配達にでも転職したほうがいいのではないでしょうか。
まあ、いっても仕方がないので、どうでもいいんですけれど、あの人たちは。
本題はそんなことではないのです。結局、人も国家も余裕があって、自信もあるときには、立派なことをいって、他の尊敬を受けられる行動もとれるのですが、自分の足下がすこしでも揺らいでくると、そんな建前を重要視したことはできなくなる、ということです。
もうアメリカ合衆国は歴史的に総括されるべき時なのでしょう。
世界史の上でも稀にみる、既に文明化された人々が移民することによって、人工的につくられた国。
その結果、西欧に先駆けて、民主国家を立ち上げるのことができた国。
あまりにも広く、肥沃な土地と豊富な資源、各国から続々と押し寄せる新たな移民、それに、他国に比べると効率的な国家の構造によって、国力は強大になり、実質上、世界を支配するまでになりました。
その間はあらゆる分野、政治制度や科学に限らず、文化の面でも、圧倒的もしくは、少なくてもトップクラスの位置に君臨してきました。
その結果として、先に述べました、持つものの余裕がうまれ、歴史的にみても比較的他国、少なくても仲間の国には寛容な国になりました。
しかし、それも、いよいよ本当に終わりです。既に、そういうアメリカは歴史上の存在になった、と考えるべきでしょう。
今あるのは、盛りをとうに過ぎた、プライドの高い、厄介な強国です。自国の利益を短絡的に求める、中国やロシアと同じレベルの国になったと考えたほうがいいでしょう。
本当は、もともと、人も国も自分の利益だけを追求しているものです。
アメリカが寛容だったのは、世界の秩序を乱さないことが、自国の利益につながる、と考えてやっていただけのことです。ですから、自国第一主義、などというのは、ただの大前提で、ことさら、いわなくてもいいことです。
ミスター・トランプがことさら自国第一主義を唱えたのは、秩序を支えることによって、アメリカが得られる利益が少なくなってきた、と感じたからでしょう。平たくいえば、貿易による利益その他もろもろの、いわば、他国からの現代の貢ぎ物が労力にあわなくなってきた、と感じたのでしょう。
そういう、列強が向きだしの欲望をあらわにする時代を前にして、あらびっくり、日本は憲法第9条の改正さえ、まだしていません。
まったく、呑気なものです。