時事その他についての考察

太宰治 「浦島さん」(についての心算だったのですが・・)

太宰治には数多くの重要な作品があります。そんなことを聞いてくれる人は誰もいませんが、もし、あなたにとって一番重要だと思う作品はなにか?と聞かれたら、「お伽草子」のなかの「浦島さん」と答えるでしょう。この作品によって、“高貴”というものがどういうものかということを教えられました。

浦島太郎のお話で謎というか解釈が分かれるのは玉手箱に関してだと思います。これに関して太宰治はとてもとても素敵な答えを出してくれています。未読の方は、インターネットで無料拝読できる“青空文庫”を開けば読めますので是非、今すぐ飛んでお読み下さい。わたくしのブログなどより余程読む価値がありますので。

初めに申しあげる必要がありますが、結論はつまらないものになってしまいます。ただ、そこに至るまでの道筋で多少の芸を見せられればと思っていますが。それから、考えているうちに、太宰バージョンはほとんど関係なくなってしまいました。

玉手箱の話に行く前に、三つほど、話しておきたいことがあります。

一つは、この、浦島太郎の話には、元ネタがあって、それによると、最後には浦島と乙姫は鶴だか亀だかの化身になって、天上の島だかにいって一緒に暮らすとか、またほかのバージョンがあるとかあるらしいですが、そういったことは私たちの知っている浦島太郎の話を考えるときには無視しても構わないということです。

勿論、話がどう変わっていったなどから、例えば社会状況の変化を読み解くなどの研究は面白そうですし、意義もあるでしょうが、それは現在に伝わっている話を読み解く上ではあまり関係ありません。

数多くの人が関わって今の浦島話になったわけですが、その人たちの意識して、または意識していないうちにした計算や思惑または、集合無意識を知るのには結局は現在の最終バージョンから考えなければならないわけです。

次に、亀に乗って海の中の竜宮城に行くということで、当然、子宮回帰願望が示唆されていると思われるのですが、これも話を考えるさいには考慮する必要のないことだと思います。竜宮城は別に海中ではなく、どこかの島にあっても構わない筈ですが、海の中バージョンと島バージョンを比較すると明らかに海の中バージョンの方が魅力的です。私たちがそれを魅力的と感じる訳の一つが子宮回帰願望にあるわけです。浦島話に限っていえば、海の中バージョンにしたのは、私たちの中にある子宮回帰願望を利用して私たちがこの話に惹き付けられるようにしたのだと解釈します。下世話な言い方をすると、ウケ狙いというわけです。

最後は、よく言われるのが乙姫さんは少し意地悪なのではないか?という問題です。

まず、竜宮城と地上(現世)では時間の進みかたが違うことを教えなかったこと、次にその繋がりもありますが、玉手箱の秘密を教えなかったというのが、“乙姫底意地悪い説”もしくは“乙姫浦島に袖にされたショックで意地悪をする実は人間らしくて可愛い説”の理由だと思います。

これも、両方共に的を外れている、と言わざるをえないのは、白けたことを言って申し訳ないのですが、この話が作り話だからです。もしも、これが実話であれば、当然乙姫さんの心の内も考えなければいけませんが、これはお話なので、これを作った人達の脚色意図が当然あるわけです。それで、この場合は話の要点はあくまでも浦島太郎の気持ちにあります。ですので、それ以外の人達は浦島の気持ちの変化を、よりはっきりと私たち読者に伝えるための道具立でしかありません。その真の気持ちなどは考えても全く意味がないといわざるを得ないのです。(念押しになって恐縮ですが、もしも乙姫さんがあらかじめ竜宮城と地上での時間の進み方の違いや、玉手箱の秘密を浦島さんに教えていたとしたらなんのドラマ性もありません)

《読まれた方はご存知でしょうが、太宰版「浦島さん」でも乙姫さんの意図がキイポイントになっています。太宰ほどの作家が今わたくしの言ったことを知らないわけはありません。これは、当然、知っていながら自分の話を面白くするために、さも無邪気を装ってそう仕立てたわけです。ついでなので言いますが、太宰の「お伽草子」には「舌切り雀」も入っています。この話の最後の落ちは非業の死を遂げたろくでもなかったお婆さんのことをその死後出世したお爺さんが語るものです。

それが「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました」と述懐する印象的なラストなのですが、これも以前に言いました、太宰得意の意味はないけれども意味ありげに終わらせて、読者をいわいる煙にまく得意の手法です》

えー、最後に玉手箱というものがいったい何を意味しているのか、ということが残るわけですが、これは、初めに申しました通り、つまらない結論です。

まず、竜宮城と地上での時間の流れが違うのを受け入れるとすれば、そのギャップは最後には精算しないわけにはいきません。玉手箱というのはその精算道具であり、それを持たされるのは当然のことです。本来ならば地上に戻った時、若しくは戻った途端に玉手箱があろうとなかろうと老化はおきなければいけない筈ですが、これは、再三申している話を面白くする為にこうしたというのが妥当な解釈だと思います。もしくは、玉手箱を開けるということは浦島さんは絶望して諦めてしまっているということなので、逆に、諦めないで前向きでいれば(玉手箱を開けないでいれば、若いままですので)人生に絶望は無い、という今風の教訓と捉えることもできます。

また、そもそも、竜宮城での時間の流れが早いというのは 皆さんがおっしゃるように、“楽しい時間は過ぎるのが早い” “ うかうかしていたら人生の重要な時期があっという間に過ぎてしまう” ということを示唆していると考えることもできます。

別の教訓としては “楽あれば苦もある” または太宰さんの解釈に近いところでは “どう生きても人生、浦島さんのそれも悪くない” ととらえたっていいのでしょう。

いろいろな解釈が出来るということも、別の言い方をすると、謎があるというのは、物語に限らず、大きな魅力になります。実際に多くの方々がうまいことこれを利用されています。

最後に、もし太宰版の「浦島さん」をこれから読む方がおられまるならば、なるべく、「お伽草子」を初めから通してお読みになることをお薦めします。やはり、読む順番というのも大事なもので、他の作品(全部で四篇です)を読んだあと、最後に浦島を読んだ方が、より、感慨深いと思います。(残りの三篇も傑作です)

この順番の大切さを感じるのは、他に例えばプリンスのバラード「スノー・イン・エイプリル」があります。この曲だけきいても勿論感動ものなのですがこれが入っているアルバム「パレード」を通して聴いた最後に入っているこの曲を聴くと、さらにさらに、曲の美しさが際立ちます。前衛的な曲が続いたあとに入っているので、ギャップにやられるってやつですね。

《「浦島さん」は「お伽草子」の最後の作品だとわたくしはずっとそう思い込んでいたのですが、今、調べてみたら二篇目でした。自分で勝手に自分の最も好きな作品をクライマックスにしていたのです》

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