芸能人が、色恋沙汰の醜聞などでスポンサーなどから損害賠償の請求を受けることがある。
その後の経緯はあまり報道されないが、おそらく払っているのだろう。
※このあとの話の結論はあっちにいったりこっちにいったりします。実は最終的な結論さえもまだ自分でもわかっていません。
まず、原則として、醜聞とCM(など)とは何の関わりもないのだから、損害賠償が生まれることそのものがおかしい。例えそれが契約書に明記してあっても、その契約書そのものが法に違反しているという観点で争うことはできる。
しかし、何故スポンサーは大枚払って有名タレントをCMに使うのかというと、そこにいいイメージがあるからであり、それを商品と結びつけることによって商品がより売れると考えるからだ。醜聞によってそのイメージが壊れ、逆に悪いイメージがついてしまうと、当然、商品の売上げダウンにつながることになる。
それは当然、金銭的な損害になる。(単純なCMなどの撮り直しの費用と、イメージダウンによる売上減の損害などは分けて考える必要があるが)
だから、企業側が損害賠償の要求をするのも、これは当然のことだ。
タレントの側に立つと、直接仕事と関係のないことで損害を請求されるのは理不尽。しかも、その当否を裁判などで争うと更なるイメージダウンにつながるので、裁判という国民の当然の権利さえも行使できない。
企業の側に立つと、実際にタレントの行為によって損害は発生しているので、それに対する損害請求をするのは当然。
何故このような矛盾がうまれてしまうのかというと、タレントというものの価値が、イメージや好感度という、とらえどころのない、曖昧な印象の上で成り立っているからだ。
大体、ある化粧品の宣伝を綾瀬はるかがやっていたとして、同じ化粧品を使っても綾瀬はるかにはなれないのは勿論、綾瀬はるかが本当にその化粧品を使っているかどうかは全くわからない。というよりも、綾瀬はるかがその化粧品の宣伝をするのは単に依頼されたからにすぎない。
そんなことは皆頭ではわかっているだろうに、実際はイメージに影響されてしまう。
これは、仕方ないことであるし、また、人間はそうできているものでもあるし、更には、世の中の全員が綾瀬はるかが宣伝している化粧品と、本人の美しさには何の関係もない、と何の感情もなく考える社会がもしもあったとしたら、それはとても無機質で面白みのない社会だろう。ついでに言うと、そこには経済成長などもないだろう。
やはり結論などは出しようがない。
思うのは、今の風潮はおかしい、ということだ。
色恋沙汰を非難できる者などはこの世にはいない。見に覚えのある者は勿論、欲望を持ったことがあれば同じことだし、それがない者などはいないのだから。