NHKの九時台のニュースで、コロナ対策のマスク着用は、一部緩和してもいいのではないか、という提案が取り上げられていた。
一部とは、人通りの少ない屋外、ということだ。
考えそのものは一部の、または多くの人が、かなり前から思っていたことではあるが、NHKがそれを取り上げたことが注目される。
つまりは、世論や政府の見解が変わってきたことを見越した上で取り上げたのだろうからだ。(提案を世論がどう受け止めるかを観察したかった政府の要請に従った、という線もあるのかは知らない)
どちらにせよ、当たり前に思えることが何故今までやられなかったのか。
それは、規制を緩和して感染者が増えることが怖かったからだろう。コロナウィルスの性質が完全にわかっているわけではないから。
また、一部規制を緩和することによって、我々の緊張が緩む恐れがあったからだろう。
ところで旅行代金を補助する政策(いわいるGoToトラベル) にも同じ恐れはあった。
マスク着用緩和はなされずに、旅行代金の補助は行われてた。
これは、大多数の人たちの少しの不便は無視され、ごく一部の人たちの死活的な問題は取り上げられるということだ。明らかに後者によるコロナ蔓延の危険のほうが大きいはずなのにである。
つまりは、政治というのは常に力のある者のためにある、ということだ。
民主主義などといって、政治は一見、万人のためにあるような雰囲気があるが、まだまだそれには程遠いのである。
政治が本当の意味で万人のためのものになるには、情報の開示と、我々大衆が開示された情報を正しく理解、解釈できるようにならなければならない。
それには、まだ遠いし、現状をみると、特に我々が情報を正しく理解することなどは果たして可能なのかという気はする。
さらに言えば、これは政治制度の問題というより経済の問題といった方がいい。
世界史で見て、政治が民主化されてきたのは、国々が経済的に豊かになれたからだろう。
民主主義というのは、本来、豊かでないと与えられないものなのだろう。
これを逆にいうと、豊かになれば、民主的な政治制度などはそれについてくる、ということになる。
中国経済が解放されてきた時に、中国もいづれは民主化するだろう、と言われていた根拠はそういうことだろう。
残念ながら、今のところそれは当たっていない。
今のところ、豊かさは民主化の必要条件ではあるが、十分条件ではなかった、ということになる。
では、他の条件は何であるのか、また、民主化は必ず為されなければならないものなのか、ということを解決することが我々の課題であると共に、それがわからないことが現在の世界が不安定である原因なのだろう。