時事その他についての考察

ジョン・ル・カレについて、「ナイロビの蜂」から

巨匠、ジョン・ル・カレに対しては当然ながら数々の賞賛がなされている。

私はル・カレのいい読者ではないが、そういう多くの解説や書評で抜け落ちているのが、人物に対する観察と洞察だと思う。

これが抜け落ちがちなのは、物語の筋立てとは直接の関わりがないからだろう。文庫の解説のような短いページ数のなかではどうしても 緻密な構成や、圧倒的な情報量に裏付けられた説得力などに言及せざるを得ないのだろう。

「ナイロビの蜂」からその洞察の例をあげる。

《彼らは、われわれにそう信じてもらいたがっている―スパイはあらゆることについて、われわれより詳しく、早く知っていると。》 31ページ

私はスパイの世界については何も知らないが、職業上のプライドと、仕事をうまく運ぶためという実際的な理由から、彼らはそういう傾向が強いのかもしれない。尤もそれは人的なやり取りが仕事の重要な部分を占めるすべての人に言えることかもしれないが。

《一度良心に問いかけ、自信を持って戻ってきた男の断固たる口調で言った。》44~45ページ

感情の拠り所が確保できれば自分の言動に自信が持てる、ということだろうが、言い回しがうまい。

《「おそらくそうすべきだったんだろう。アフリカを女の手に渡せばうまくいったんだろう」 》45ページ

イギリスの外交官同士の会話の一節。不毛な争いや腐敗に満ちたアフリカを見ているとそういう気持ちになるかもしれない。またそれは真理だったのかもしれない。

《一度眼にすると、見た者の記憶に生涯生き続ける人間がいる。》108ページ

私個人的には思い当たる人はいないが、思い当たる人がいそうな表現であるとともに、それがないことを恥ずかしく思わせる効果もある。

《ウッドロウとグロリアはかつて中国のことわざを引いて納得し合ったことがある―家に招いた客は魚のようなもので、三日目には臭い始める。》109ページ

本当にそんな諺があるのかは知らない。あったとしたらそのうまい言い回しと、そんなことを知っている博識に感心するし、作者の創作だとしたら見事だろう。

《外交官として働いてきて、数えないほど屈辱的な状況をくぐり抜けてきた。経験上もっとも安全な方法は、何かがまちがっていると決して言わないことだ。》142ページ

官僚の処世術をうまく言い表しているとともに、発言者の保身的な性格をも言外に描写している。

《エイミーは中年で、太っていて、人生で喜劇を演じようと決意した真剣な女性のひとりだった。》 167ページ

有能だが不美人である女性のとる、一つの典型的な生き方だろう。自分を物分りのいい、寛大でエネルギッシュな役割を演じる女性として位置づけているということであろう。我々日本人には、いわいる女芸人の典型的なあり方としても馴染みが深い。

《ララ・エムリッチは訂正されるのを好まなかった。「わたしが最後に彼に会ったのはいつかという質問だったでしょう?」と憤慨して鋭く言い返した。》181ページ

これはもっと前段から読んでいないとわかりようがないが、訂正されるのが嫌いなのは優秀でプライドが高い人間がなりがちな性質ということだろう。 それをあらわにしてしまうのは、罠にはまって虐げられて、精神が参っているからだが。

《若く美しい女性がいる場で同年代のロシア人の男がいかにも見せそうな反応を示した―いくぶん神秘的で、いくぶん内気で、いくぶん無愛想な反応を。》 200ページ

(このロシア人は、実は老人であり、「同年代」というのは、若い女性と同年代ということではなく、「その老人の年代」という意味だと思われる)

「神秘的」というのが良くわからないが、これは我々日本人もとりがちな反応だろう。そうして、日本人も若い年代であればもっと気の利いた対応ができるだろうところも似ている。

《何も笑うものがないときにしばしば見せる笑みを浮かべた。》 208ページ

愛想笑いということだろうが、媚びた感じが出ない描写にしているのは相手におもねてのものではなく、儀礼的な笑みだということだろう。

このように拾っていけば切りがないくらいに魅力的な病院に満ちている。ただ、多くの人がこれらの文章を理解できるとは思えない。これは偉ぶっているわけではなく、私にもわからない箇所はたくさんある。

別に、明らかにミスと思える部分も紹介しておく。

《「ピーター?」ジャスティンははっと目覚め、腕時計を見た。夜九時。ペンとメモ帳は電話の脇に置いてある。「ピーターだ」「ララよ」不満そうな声だった。》 161ページ

続きを読めばはっきりするのだが、この会話は電話でのものなのだ。つまり、本当は、この会話は目覚める前には始まりようがない。受話器をとる前に声が聴こえるわけはないのだから。

しかし、ル・カレは話の筋道を複雑にして、しばらく読みすすめなければ流れがわからないようにするテクニックをよく使うので、このような明らかな間違いを間違いとして認識するまでには少し先まで読み進め、さらに何度か読みかえさなければならない。

そういうわざと流れを複雑にしているだろうテクニックを使った例もあげておく。

《ギタは鉄格子のチェーンをはずし、三ヵ所についた鍵を開けた。アパートメントに足を踏み入れると、電話が鳴っているのが聴こえた。―中略―「やあ、ギタ」と魅力的な男性の声が大きく響いた。すぐに誰かはわからなかった。「今日は本当にきれいだったね。ティム・ドナヒューだ。ちょっとお邪魔して、星空の下できみたちふたりと話せないかと思ったんだがね」 》277ページ

この、ティム・ドナヒューという男は、電話をかけてきたのではなく、部屋に入り込んでいたことがこの後の描写でわかる。(但し、それがはっきりするのは、1ページほどそこそこ複雑な描写を読んでからになる)

ル・カレは電話の受話器をとる描写などは省いたりするので、ここまで読んだだけではティムの声が電話から聴こえているのか、現場にいて直接話しているのかはわからないのだ。大体部屋に入り込んでいるのなら、電話が鳴っている描写は、本来ならばいらないだろう。つまり、これはわざと読者を混乱させている、一つの技だということになる。

それなので、先にあげたピーターとララの電話での会話の矛盾も、こちらの読み違いではないか、といちいち熟考しなければならなくなる。

これは、正解がわからなくなるので、結構困るのだ。

そのような欠点があるにせよ、ル・カレの小説はじっくりと、立ち止まりながら読み進める価値のあるものだろう。

上にあげた描写などを噛みしめながら読み進めることになり、その度に作者の洞察に恐れおののくことになる。

これは推察だが、文章が複雑で分かりにくいのは、細かい描写を読み飛ばさせないため、我々の読書スピードを遅くするためにやっていることなのではないだろうか。

実を言うと、私も本は読み飛ばす傾向があり、今までにル・カレの小説もニ、三、読んではいたのだが、今一つ乗り切れていなかったのだ。

遅ればせながら、やっとその魅力の端に触れることができた気がようなする。

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