兵糧がないからという真っ当な判断から追撃を諦める総大将の存在から700年以上経って、日本は補給線をあまりにも軽視した戦争を起こした。
戦って戦死した数よりも、餓死や病死のほうが圧倒的に多いという事態を引き起こす、無能な指導層に率いられた国に成り果ててしまった。
その違いは、一つには決断を下す人間が現場にいるか、遠く離れた大本営にいるのかの違いがある。
しかしそれだけではない。
同じ戦争の最中に、ダンケルクから自国兵を撤退させるために総力をつくした国もある。当たり前だが、イギリスの意思決定機関はダンケルクのあったフランスに存在したわけではない。
どうして日本はそういう国になってしまったのかという問いへの答えの一つが、頼朝軍と相対した伊東佑親にある。
これが戦国時代であったなら、彼は切腹していただろう。
鎌倉前夜にはそのような習慣、風習はまだ無かった。その頃の武士は、自分の土地を守るために戦い、もしそれに敗れたら単純に降伏をするだけだ。その後の処遇は勝者にゆだねられることになる。それだけであって、無駄に死ぬようなことは無かった。
どうしてそうなったのかの解明はこれからの課題だが、いつの間にか敗れた者は潔く死を選ぶことが美しい、という美学が出来上がってしまった。
このような思想がどの程度普遍性があるのかはわからない。しかし日本だけに特有なものということもないだろう。
西洋ではそうならなかったのは、単純にキリスト教が自殺を禁じているだけだからだったのかもしれない。
しかしその違いは、戦略性に対する態度の違い、という、戦争にとっても、商売においても重要な分野において決定的な相違を生むことになった。
何があっても生きる、という行動原理からは、では生き残った後はどうするか、という問いかけが生まれるに対して、生き恥じを晒すくらいなら死を選ぶ、という考えではその後の戦略などは生まれようもない。
日本人のこういう思考の傾向は未だに残ってしまっている。
多くの表現者たちが修正に励んでくれてはいるが、(スラムダンクのあまりに有名な台詞、“あきらめたら、そこで試合終了だよ”など)まだ我々は“潔い”ということを過剰に好んでいる。
現場と意思決定機関の解離の問題は技術革新が解決できるだろうが、人の心を変えることができるのは我々自身しかいない。
《だから、斬首される場に行く途中に柿をすすめられた石田三成が、柿を食べると腹を下すかもしれないから、と断った、という有名なエピソードは日本人としては特異だ。さらに重要なのはその挿話が挿話として伝えられていることだ。それは、その戦略性に感心した人たちが少からずいた、ということだから》