時事その他についての考察

オミクロン株にどう対処すべきか

《その正体、性質はまだはっきりとはわかっていない。さらにはこれで変異が終わるわけではない。だから重症化する率は低いという統計があったとしても、実際の対応を決定しなければならない為政者の判断が慎重になるのは当然のこと。

批判する人は自分が自分の責任で対応を決めなければならない場合を考えてみればいい。

しかし政府の対応が全て正しいとは思わない。何よりも、世界中から集めているだろう統計をどう解釈してどういう考えのもとに対応を決めたのかを我々に伝えなければならないはずなのだがそれをやろうとする意思は全くないようだ》

マスコミやネットに溢れているほとんどの意見は一面しか見ていない。

実に不思議なのだが、皆望んでいることは同じはずなのだ。

コロナ禍を乗りきりたいという目標は同じなのだ。特に利益を奪いあおうとしているわけではなく、同じ方向を向いているはずなのだ。

必要なのは見解を持ち寄って妥当な結論を出すことであるはずだ。

しかしなされているのはそれぞれが自分の主張に都合のいい情報だけを取り上げてそれに反する意見を全否定することだけだ。

それぞれ、対立する考えに反論する時はそれができる主張だけに対して反論をして、自分の持っているカードより強いカードは無視している。

それぞれの主張を分析すると、皆、一面では正しいのだが全面的に正しいというには情報が足りないものばかりだ。(加えて特にネットでは自分に反するものを罵倒するような、無意味に正常な判断を狂わせる口調が余りにも目立つ)

それが人間だ、と言えばそれまでだ。利口は人ならばそんなことは前提にして対応を考えるだろう。間違っても何かを正そうなどとはしないだろう。我々の持っている資源には限りがあり、そんなことに構っている余裕はないからだ。

しかし、世の中は利口な人ばかりいても上手くいくわけではない。阿呆も役に立つことがある。

今のように不毛な主張ばかりが目立つのではなく、冷静で建設的な議論ができる場をつくるためにはどうすればいいのか。

その手段の一つとして、為政者が情報を開示することが必要だと思う。

確かに結論だけを言うのではなく、結論に至る過程を言っても混乱することもあろうし、それに従わない人が多くなる可能性は高くなるだろう。

しかし民主主義の最大の利点であるだろう、被統治者の団結を強くするためにはより多くの人が納得するための深い議論は不可欠であるはずなのだ。

コメント (1)
  1. 就爱要 より:

    Where there is a will, there is a way.

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