【正解は誰も知らない。間違いを知っているだけ】
私たちは自分より目下のものに対して指示をすることがありますが、本当は何が正しいのかわかっているわけではありません。
ただ、何が間違っているかということは少しはわかるので、それを避けるためにとりあえず、間違っていないやり方を教えているだけです。
【自然は美しい】
常々不思議なのですが、自然は美し過ぎます。不自然なくらいに。どう考えても、それを美しく感じるように私たちが出来ているとしか思えないのですが、一体、何のためなのでしょう?(全てのことに理由がある、というのが、わたくしの基本的な考えです)
一つの仮説としては、美しく感じさせることによって、それを大切にさせる、というのがありますが如何?
【表情に美醜があるのは何故?】
人間に限らないのでしょうが、生き物というものは実によくできています。
笑った顔や、穏やかな顔は見ていても気持ちのいいものですし、人の悪口を言っている顔ほど醜く感じられるものはありません。そのように感じさせることによって、私たちをが(なるべく)協調するように導いているのでしょう。
【旅先がいいところだったとよくいいますが】
旅をされた方がよく旅行先の親切、人情などを感激して話すことがあります。身も蓋もないことをいうようで申し訳ないのですが、旅行者というのは顧客、つまり消費者、お金を落とす側であり、受け入れる側は、直接ではないにしろ商売人であり、お金を受けとる側なので、それは当たり前のことです。
【怒りの不思議】
恥ずかしながら、わたくしはいい年をしてカッとなりやすい質で、なんということのないことで瞬間的に腹をたてることがままあります。自分を否定されたり、馬鹿にされたりしたときに腹が立つのは普通ですが、そうではなく、何かちょっとしたことを言われたときに、自分でも理由がわからないまま、瞬間的に怒り心頭に発することがあるのです。
(さすがにその怒りを表面に出すかどうかは場面によりますが)
ただ、少しあとになって改めて考えると、大抵その理由もわからなかった怒りにちゃんとした根拠があったことに気付きます。(誰かの新しい要求や提案が、表面では公平に見えているが、実際には理不尽な押し付けであった、など)
そういうときは自分でも、自分に対して、成る程、と思ったりします。冷静な判断より、直感が正しいことがよくあるとは聞きますが、怒りのような根源的な感情も直感と似ているということでしようか?
ドラマ「まだ結婚できない男」について】
阿部寛さんの評価が高まる一方で、共演の女優陣の評価が低いようです。特に前シリーズは夏川結衣さんが素晴らしかったので、それと比較して批判されていますが、これは、皆さん勘違いされていると思います。女優陣がいけないのではなくて、阿部さんが凄すぎるのです。
前シリーズでの役者としての力量は、阿部対夏川では大体対等であったと思います。ぼくはどちらかというと、夏川さんの演技目当てに観ていたくらいです。
しかし、あれから十三年。今の阿部寛の演技は異常です。顔で笑わせ、動きで笑わせ、会話の間で笑わせ。スポーツでいうところのゾーンに完全に入っています。コメディはどうしても、評価が高くなりにくいですが、もう、あらゆる、賞という賞を差し上げていいくらいの素晴らしい演技です。(それに比べると、よく、“体当たりの演技”などといいますが、この言葉は見るたびに笑ってしまいます。まだ下手っぴいな役者さんをどうにか形にするために派手な演技をさせているわけですよね?あくまでも、“はじめの一歩”です)
それで、阿部さんです。吉田羊の力量が夏川結衣より劣っているわけでも、脚本が悪いわけでもないと思います。あえていえば、今の阿部寛の力量にあった、「阿部寛ワンマンショー」のような形にすべきであったのかもしれませんが。
ありていにいえば、吉田羊をもってしてでも、今の阿部寛には到底、敵わないということです。もう一人の主な共演者である、稲森いずみさんは役者としての方法性がまるで違うので余裕をもって阿部さん演技を楽しんでいられるでしょうが、そうはいかない吉田さんの心中を察すると気の毒な気さえするほどです。頑張れ、吉田羊!負けるな、吉田羊!
いや、吉田さんは充分頑張ってるので、お前(筆者)が頑張れって話だよね。