時事その他についての考察

巷間言われる保守主義と“正統”保守主義とは全く違うもの

“正統”保守主義を定義するならば、

“今、現実に行われていること、それでまずまず世の中が動いているものは、ヒトがそれと気付いていなくても行われている意味がある。従って現状を変えることは慎重になるべきなのだ”

という考えだと理解している。だから例えば、憲法改正に反対する保守派、というのも存在しうる。

しかしながら一般に日本で保守と呼ばれている人たちは

“自分の都合や感情だけを基準にして世の中を変えようとする人たち”

としか見えない。彼らの主張はまず、感情から出発している。一見理論武装もしているようだが、それは自分の感情から導かれた結論を裏付けるための理論に過ぎない。つまり、答えを決めておいて、その答えに都合のいい理屈をひねりだしているに過ぎない。

ただ、恐ろしいことに保守と言われている人たちのほとんどは、自分がそうしていることに気付いてさえいないように見える。(人気とりや、お金のためにやっている人たちもいる。そういう人たちは当然、わかってやっている。厳しい言い方をさせてもらうが、自分の利益のためには国がどうなろうと構わないという、売国奴、と言っていい人たちである)

おそらくそれでも皆、無意識には自分のやっていることがわかっているのだろう。強がりを隠した薄っぺらい仮面のような表情をしている。気の毒なことだ。

彼らのわかりやすい特徴としては、根拠も意味もない嫌中、嫌韓である。

今言ったようなことがわかっていないという意味で彼らには洞察力はないのだが、現実的な能力(例えばお金儲けとか、他人を操る技術とか)には長けている人たちが多い。

だから、私なんかは仮に対決しても勝てる自信は全くない。悔しいことである。

正直に言うと、私はもう、彼らには関わるのも嫌なので、彼らがのさばろうと知ったことではない。しかし、もしも次世代を担わせる大切な存在がいる人がいて、そんなことを言ってはいられないのならば、彼らに力を与えてはいけない。言っておきますが、彼らは責任なんかとりはしないのだから。

《インチキ保守の特徴は嫌中嫌韓だと書いた。しかし、彼らが本当に嫌いで叩きのめしたいものは別にある。それはあまりにも強大で、しかも我々を支配しているため、憎む気持ちさえ、心の奥底にしまわなければいけない存在である。嫌中嫌韓は、行き場を失ったその憎しみが投影されているに過ぎない》

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