パラリンピックの学校連携観戦に限らず、これは全てに当てはまることである。
ネットでは行政の施策に反対する書き込みが多く上がっている。(私は情報弱者なので間違っているかもしれないが)ボイコットを呼びかけるものは見かけない。
今のコロナ感染の状態から見て生徒児童のパラリンピック強制観戦という、ほとんどの人が反対するだろう愚行を防ぐことは簡単といえば簡単である。
当事者たちが命令に従わなければいいのである。
子供のなかでも例外的に意思の強い者はそれができるだろう。
親が自分の子供を参加させないことはできる。
自分の担当する生徒、児童を参加させないこともできるかもしれない。
校長ならば学校全体でボイコットすることはできるだろう。
勿論、基本的には上位者のいうことには従ったほうがいい。
しかしそれがどう考えても間違っているときには、しかもそれが自分の為だけではなく、公共の安全に関わることならば従うべきではない。
仕方なく命令に従う人たちを責めるつもりはない。仕様がないと言えないこともない。
しかし、話が大きくなってしまうが、我々は事あるごとに先の戦争に対して“二度と同じ間違いはしない”と決意をあらたにしている。
このパラリンピック学校連携観戦のようなこと、もしも個人的にボイコットをしてもその不利益は限定的なものであることも阻止できないのであれば、間違いなく同じ失敗はくり返されることだろう。
今回の“パラリンピック学校連携観戦反対運動”にはもうひとつ問題がある。
為政者も馬鹿ではない。少なくとも我々と同じ、もしくはそれ以上には利口であると考えられる。
その彼らがほとんどの人が間違っていると判断することをやっているのである。これはわかっていてやっていると考えるべきだ。
危険性を理解していないということではないのだ。
何か表だっては言えないような理由があるのだろう。
それを見つけだした方が政策を変えさせるには有効だろう。ただ反対反対と言うよりは真相を探ることにも力を使ったほうが効率がいいのではないか。
(実際に反対運動は効果をあげてはいるのでそれに異をとなえているのではない)
《そうではなくて、組織というものは一度決定してしまうとその決定を変えるのは難しい。それは組織が大きくなればなるほど大変なことだということなのかもしれない。これはその組織の頂点にいる人にも困難なことであるということなのかもしれない》