時事その他についての考察

女性の社会的地位の向上は経済の問題であって倫理の問題ではないということ

《厳密にいうならばそもそも倫理は経済の要求に従っているもの、言いかえればもともと正義とか善悪というのは損得勘定から生れたものなので タイトルの言い方はおかしいのであるが》

いままで賃金労働は男がやっていれば良かった。

しかし今は女性の力が必要になっている。

必要とされているものの権利が強くなり、地位も上がるのは当たり前のこと。

今は頭の切り替えに時間がかかっているだけで(戦争などが起きなければ)企業などで男女の地位が同じになるのは当然のことでしょう。

今までそうでなかったのは、近代工業社会での賃金労働は力仕事など、男性の特性が必要なものが多かったからではないでしょうか。

その意味では日本でいう高度成長時代、つまり労働力のなかでホワイトカラーといわれる職種が増えた時に男女格差は無くなっても良かったはずではあるが、これは前時代の名残であると共に当時当たり前だった長時間労働など過酷な労働が妊娠、子育てというより重要な仕事を持つ女性には難しかったからかもしれない。

しかし時代は更に下った。パソコンを使うのに性差はあまり関係ない。

また社会が豊かになり一流といわれる企業では短時間労働が普通になった。(しかしこれがまだまだ一部だけの労働環境であるらしいのはどう考えるべきか。しかしこれは別途考察すべきことである)

では何故女性の力が必要になったのか。

家族を養えるだけの賃金を一つの労働力に払えるだけの力が企業になくなったからかもしれない。

単純に労働力が足りなくなったからかもしれない。

そうではなくて、スーツを着た女性労働者が増えたのは、単に学校という一種の理想化された環境の中で男女の区別なく扱われた結果、四年生大学にも女性が進学することが普通になった。その結果多数の女性が男と同じように就職するようになったことろからかもしれない。(これだと議論の前提と違う話になるが)

・・まあいい。社会のことなので要因が複雑なのは当たり前のことです。それを単純化しているわかりやすくも面白い話をこそ疑うべきかもしれない。

この話の要点は、我々は自分の都合、必要でやったことを、あたかも良いことだからやったことにするといった理由の書き換えを結構頻繁に行うということです。

(この場合は女性労働力が必要だから労働条件を改善したに過ぎないのに、あたかも人道的、倫理的理由からそれをしたように取り繕い、更には自分でもそう思いこんでいるらしいこと)

私はそれは恥じるべきことだと思います。しかしこういう性向は実は人類の発展に必要なことなのかもしれない、これもまた別の話であるが。

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