対新型コロナのワクチンが管理の失敗から捨てなくてはならなくなった事例がままあるという。
またワクチンを打つつもりで生理食塩水?を注射してしまったケースも何度かニュースになった。
その対策としてどこかの自治体でやっていることがテレビニュースになっていた。
それは検査担当職員を(確か)四名選び、また独自にチェック項目を作って(五十項目といっていたと思う)ワクチン接種会場を巡回するというものであった。
それは結構だがチェックの項目には問題があるようだ。
例えば使用済みの注射器を捨てるゴミ箱は注射針が危ないということから必ず蓋をしなければならないという。
テレビでは台本があってのことだろう、検査担当職員に指摘されて蓋を閉める様子が流れていた。
針が危ない?ゴミ箱に手を突っ込む人間がどのくらいいるというのだろう。
これがワクチンではなく治療薬を注射しているのであれば注射針には病原菌がついているかもしれないので二次感染を防ぐためにゴミ箱に蓋をするというのは必要な規則かもしれない。
しかし今回は健康であるだろう人たちにワクチンを打つという仕事である。乱暴なことを言えば誤ってゴミ箱の注射針で怪我をしたとしても絆創膏でも貼っておけばいいのだ。
またこれは検査の目的である“ワクチンの管理を適切に行う”ということから逸脱している。
何を言いたいのかというと、煩雑で業務者から見て意味が感じられないチェック項目というのは守られなくなるのが人の情というものであるということだ。
それからさらに危険なのはそうなると本来守らなくてはならない規則すらないがしろにされ易くなってしまうということだ。
人間の歴史のなかで組織というものが生まれ、管理する者と管理される者という区分が出来たときからチェックという業務は発生していたと思う。
それから何千年何万年も経っているのにも関わらず現実を見ていないままであることは不思議である。
簡単に言うと官僚主義ということになる。
管理する側の言い分と都合、さらには現実にミスを無くする為というよりも問題が起きたときに管理はちゃんとやっていたということを言い訳するために存在しているのだ。
失敗は常に現場の無能と怠慢のせいということにされる。
勿論、組織によっては有効なチェックをしている所もあるだろう。権限のある人間にやる気と見る目と根気があればできることなのだから。
しかしその成果は一般に広まってはいない。
マネジメント技術というものが発達しているのにこの分野が手付かずなのは謎ですらある。
理論として確立されていい、されなければならない案件であると思う。
個人的なアイデアを言わせてもらうとポイントは現場の意見を取り入れることにある。
ほとんどの組織では上位者がチェック項目を決めて下位の者たちはそれに従うだけだろう。
そうではなくて下位の者たちも示されたチェック項目に対して意見を言える環境がなければならない。
上位の者たちは自信があるので下位の者たちの意見などは聞く必要などないと思いがちである。一人で全部を判断できるような優秀な人はほとんどいない。さらに言うと優秀であればあるほど相手の立場の関係なく意見には耳を傾けるものだ。
それが出来るためには個人だけでなく組織(一般に検査は外部組織がやることが多いかもしれない。そうであればこれは社会全体の問題)に柔軟性がなければならない。
一度決められた項目も現場や担当者の意見を取り入れて常に変えられる仕組みと組織文化があることが大切である。
但し軍隊や警察など一部の組織は別だ。絶対的な上下関係が必要な組織というものも確かにある。
上の人たちは根拠のない自信があるので部下たちの意見などは聞く必要などないと思いがちである。そんな優秀な人はほとんどいない。さらに言うと優秀であればあるほど相手の立場の関係なく意見には耳を傾けるものだ。