時事その他についての考察

日本のマスコミは確かに最低なのですが

新型コロナウィルスに関してのテレビでの報道は、ほとんど新規感染者数が増えていることに集中している。補足として、飲食店その他、営業損害に関わるものが伝えられることが多い。

新型コロナウィルスが流行し始めた頃、これを押さえこむにはワクチンの開発を待つしかないだろう、という意見が多くみられた。

そうして、ワクチンは開発され、接種も始まっている。日本での接種はかなり遅れてはいるが、我々に行き渡るのも時間の問題だ。

未だ、その効果の予断は許されないが、早くから接種が始まっていたイギリスでは新規感染は相当に押さえられている、という報道もある。

だとするならば、我々の仕事は、既に政府から一応の予定が発せられているワクチンの供給時期を待ちつつ、それまでの間、どういう対応をとるべきなのか、を考えることだ。(ワクチンが有効であるならば、感染を完全に抑え込む必要性は低くなったということだ。ある程度の感染は許容しつつ待つという選択肢もとりうる)

それにも関わらず、テレビでは相も変わらず大阪の感染者数がどうの、東京では前の週の同じ曜日から増え続けている、などということばかり伝えている。報道基準がワクチン開発前と変わっていないのだ。

これは本当にしょうもない。しょうもないのだけれども、しかし、今、上に書いたことは、ほとんどテレビで伝えられた情報をもとにして書いたものである。マスコミは確かにしょうもないけれども、必要な情報を流していないわけではない。彼らが今後、色々な意味でまともになるのかは知らないが、少なくともそれまでは、我々自身が彼らの流す情報を、自分で組み立てて判断すべきだし、すればいい、ということでもある。少なくとも日本では、情報を隠すことはあっても、嘘は(あまり」言わないだろうから。

似た話で、NHKの人事に政権が介入したのではないか、ということが報じられている。報道の自由が脅かされる事態である、というのだ。それは、その通りではある。しかし、この話は何も口コミなどで伝わってきたわけではない。私が見たのはネットニュースではあるが、それでも公に報道されたものだ。これが中国やロシアであったら、そんな報道は許されないだろう。つまりは、決していい状態ではないが、それほど悲観することでもないということだ。大体、歴史上、報道が完全に自由であった時代、国などあるわけがないし、これからもありそうにない。

報道の自由などはない、ということは報道されている。それさえ理解していれば、つまり、表面で言われていることだけを見ず、それが言われるまでの経緯までを考えることができれば、報道の自由などはなくても、真実は伝わるものだ。

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