緊急事態宣言の期限が迫っている。
マスコミは相変わらずマスコミなので、宣言が延長されるかどうかを主に話題にしているが、感染者の下げ止まりが微増に転換している現状では、宣言の延長というよりも、新たな方策が必要なことは本来、言うまでもない。
本当は、前回の延長時にそれは示されなければならないものであった。当時すでに下げ止まりと言われていたのだから。
《お前もアイデアを出せ、といわれるならば、一年間蓄積しているであろう知見を基にした、メリハリのある施策をするべきだと考える。基本的に喋らない場所でのマスクの着用は無意味だと思う。それは緩和するべきだが、しかし、現実に感染が起こっていることにはもっと厳しくあたるべき。罰金、営業停止も考慮していいのではないか。また、役人が出ていっても舐められてしまうので、警察力の行使もあっていい》
現在、政府は少なくとも新型コロナに関しては無能と言われても仕方のない政策を続けています。
では、総理を初め、閣僚その他の人たちは実際に無能なのか。
そんなことはないでしょう。
では何故、政策そのものは無策なのか。
これは組織の運営がきちんとなされていないからでしょう。
組織内の誰かが持っているアイデアが生かされる仕組みが無い。そもそもアイデアを発表できる筋道がないか、中間の関門が多くて有効なアイデアが潰され易い。(考えたくはないが、本当に首相が無能で有益なアイデアをことごとく無視している可能性もある)
人が集まれば有能なのもいれば無能なのもいる。(ただし、有能無能はその時々によって当てはまる人が変わることもある)
だから組織というものは有能な人の出す有益な意見、提言を生かせる仕組みが出来ていなければいけない。誰か特定の人の意見だけが通るようであってはならない。
ピーター・ドラッカー氏の言葉を信じるならば、組織論というものはほとんどドラッカーが始めたものであるらしい。
しかし、ドラッカー氏の時代からかなりの年月が過ぎ、組織論も相当、整備されていることと思う。
しかしながら、それが十分に生かされているとは思われない。
一つ、大きな原因は、牛耳っている奴は変化を歓迎しないということがあるだろう。
だから組織というものは、保守的になりやすいものなのだろう。
それを変えられるのは、外との接触だろう。組織そのものの存続が危うくなって初めて、変化、改革といったものが可能になるのかもしれない。
本来、組織論には、平穏時でも改革を行える方策も含まれるべきだが、それが難しいのならば改革が出来うるときに備えた方策を整備すべきてある。そうして、好機があれば一気にそれを行うべきである。(言うのは簡単だが、実現は楽では無い。しかし、それをうまくこなさなければ未来は危うい)
組織改革が難しい大きな理由として、情報の伝達が困難だということがある。
誰かが何かのアイデアを持っていたとしても、それを実現できうる立場を持つ人までは伝わりにくい。
情報の伝達が口頭もしくは書類でしかできなかったときは今よりも更に難しいかった。
今はパソコンという武器があるが、それでも送られた文章を読む、という作業は避けられない。
集まる情報を取捨選択して決定権のある者に伝える役割が必要になるが、そうするとその者が暴走する恐れが出てくる。
なかなかに難しいものである。
《以前も書いたことであるが、こういうことを考えていると、星新一さんのある、ショート・ショートを思い出す。非常に科学の進んだ異星人がトラブルで地球に不時着するのです。そこで偶然居合わせた小学校高学年の少年たちに助けられて無事、地球を脱出できるようになるのです。その時に、自分の持っている地球人と比べたら圧倒的な科学力で、お礼に彼らの望みをなんでも叶えてあげる、というのです。但し急ぎでやるべき仕事があるので、それを終えてから、そう、五十年後に。
それを聞いて少年たちは、その時がきたら、是非、狡い大人たちを懲らしめてほしい、とお願いするのです。
さて、五十年後、異星人は約束通りに地球に戻ってきました。そうして、今ではすっかり立派になった当時の少年たちに今こそ約束を果たしてあげる、と申し出ます。
すると少年たちは狡そうに顔を見合わせてこう言いました。「いや、それはもういいんだ、わざわざ戻ってきてくれて本当に有難う。どうか無事に故郷に帰って下さい」》
星新一はもっと大いに評価されるべき存在てある。