時事その他についての考察

渋沢栄一の偉さを否定はしませんが、彼は翻案家に過ぎません

日本は古代から現代に至るまで、外国の優れた制度、技術などをいち早く取り入れた人が幅をきかせる国。(日本だけでなく、文明の周辺国はそういうものなのかもしれない)

渋沢栄一の同時代人では、福沢諭吉も同じ。人物としては一流だったのかもしれないが、勝海舟に喧嘩を売った論争を聞くと、思想家として一流だったとは思えない。(幕臣だった海舟が明治政府で高官として勤めているのは道理に合わないと難癖をつけた)

日本は国の基本制度からして中国に教わっているので(古代の律令制度)仕方がない。また、卑下することでもないのだろう。

しかし、自覚は必要。また、その結果としてオリジナルの偉さには鈍感で、渋沢、福沢など翻案家の業績は評価するきらいがある。(気がする)

だから国力がついて第一線に出て、手本にできるものが無くなるとどうしていいかわからくなるので、振る舞いが滅茶苦茶になる。先の戦争がそうだったし、バブル経済以降も同じ。

これは国としてだけでなく、私たち一般市民の振る舞いも同じ。日常と違うことが起きたとき、適切な対応がとれない。何よりもまず周りを伺うことから始める。皆がそうだから率先して行動できる者がいない。いわいるリーダーシップを持つものがとても少ない。

そんな国柄のままでは通用しなくなっているのだが、偉いものでそれは一般市民が一番よくわかっている。

出来上がっている人間は変えられないので、教育、それ以前に子育てのやり方が変わってきている。

近頃よく聞く子育ての方法は、褒める、否定しない、そうして長所を伸ばし自己肯定力を高めるなどが主流のよう。

よく言われるようにスポーツでは既に結果は出ている。おそらく、研究の分野や商売でも人材は出てきているのだろう。

そのうち、「出る杭は打たれる」とは言われなくなるかもしれない。これからは出る杭にはどんどん出てもらって、我々はそれに乗っかればいいのだから。

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