時事その他についての考察

銀行が色々手数料を取りたがっています。無理もありません、が、しかし・・

そもそも銀行が、一等地に立派な建物を持っているのは、人々が安心してお金を預けらるために、その信用を得るためにそうしているのだと、つまり、「こんな一等地にこれだけ立派な建物を持つものは、預金を持って逃げるようなことはしないだろう」と思われるためにしたのだという話があります。

さて、世の中は現金を使わない買い物、決算、取引に向かっています。それを仲立ちする業者は場合によっては、インターネットのなかだけに存在するものであってもおかしくありません。

おかしくはありませんが、それらの商売が成り立っているのも、根本に銀行の信用があるからではないのでしょうか。

人々の莫大な預貯金が銀行、郵便局にある。それを前提としてそのような目新しい商売が成り立つのでしょう。

さて、銀行、郵便局はその信用を得るために払っている経費を正当な形で受け取っているでしょうか。新しい業態の人たちは、持つべき負担を持たないで信用だけを借りているのではないのでしょうか。例えば、ネットバンキングなどというものなのでしょうが、実体はないも同じでしょう、というよりも、無くてもいいのでしょう。

このままの流れでいくと、銀行はじり貧になりそうです。企業や個人がお金を借りるのも、お金を保管するのも、これまでのようにほとんど銀行に頼る時代では無くなってきています。

その時に、新しい信用形態が確立していれば、そうして、それは確固なものであればいいのですが、そうでなければ、社会は大混乱になる、というよりも、一度大混乱になって、そこから本当の信用が保証される仕組みが出来るのかもしれません。

仮想通貨というものがあります。通常の通貨の信用は国家の保証にあるわけですが、聞くところによると、仮想通貨の信用の源は、その通貨を流通させ、取引をしている厖大かつ、複雑な流れそのものなのだそうです。それは素晴らしく画期的な仕組みなのだと思います。しかし、例えば、その厖大な取引をさらに上回る嘘の取引のデータを打ち込むことができればその流通価格をコントロールできることになります。

勿論、そんな素人の思い付きが実現するとは思えませんが、何かしらの盲点や欠陥がある可能性は充分にあります。

例えば昔、機関投資家が不自然なレートの通貨を狙い打ちして利益を掠め取ることが何回か起きました。(イギリスのポンドとタイのバーツじゃなかったでしょうか)

まるで、銀行を擁護しているようですが、本当は銀行そのものを庇い立てをしたいのではありません。

銀行が担っていた信用が無くなったあとの混乱が怖いだけです。

(銀行について言わせていただくなら、このオンラインの時代に、ATMに長い列を作らせている。その状態を放置している。怠慢としかいえません。

どうも、それぞれの銀行で、インターネットの口座を開くことが出来るようで、それを持てば〈おそらく〉ネット上で全部処理できるようですが、実際に皆さん並ばれています。それを見るとネット口座も「こっちはちゃんと設備は整えてやってんだから、あとはお前たちの問題だ」とでも言っている気がします。窓口での応対がいくら表面上、丁寧でも、その本来的な傲慢さは隠せるものではありません)

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