時事その他についての考察

組織が駄目になっていくのを眼前で見せられています

何の話をしているのかというと、テレビ局のことです。

時代の潮流で、落ち目になっていくものは常にあります。しかし、その組織のなかにいる人たちはともかく、なかなか外からは堕ちていく組織をくわしくみることはできません。テレビ局というのは、大衆に向けて放送するものでもあるので、この期に及んでも変わる気配がほぼ無いことが外にいる私たちにも見やすい組織であるといえます。

どんな組織であっても、成長が期待できなくなると、成長して、儲けて、それをみんなで分けあおう、という戦略が成り立たなくなります。そうすると、それぞれが、今持っているものを守ろうと考えます。守るためには失敗はしてはいけません。失敗しないためには新しいことはしないで、今まで通りのことを続ることが大切です。

かくして、落ち目の組織というものは、どんどん保守的になり、それが落ち目をさらに加速化することになってしまいます。

テレビ局に関して残念に思うのは、番組を作っている方々はいい番組、面白い番組を作ろうと創意工夫されているのが感じられるからです。先ほど述べました保守化は、実際に何かをつくっている人たちには当てはまりにくいようです。

わたしには、テレビ局のなかの組織がどうなっているのかわかりませんが、推測するに、番組をつくる人と、どの番組をどのように放送するのかを決める人は別なのではないかと思います。制作局や、編成局という単語をたまに聞きます。

そういうやり方にはいいこともあるのだと思います。また、仕事の量からして、両方はできないのかもしれません。しかし、つくっている人と、それを番組表に当てはめていくことが仕事の人では、その番組に対する愛情や熱意が違うのは当然のことです。

テレビに関係する人のなかで、もっとも重要な人はそれを見る人です。そのつぎに大切なのは、直接、お金を出す人、スポンサーと呼ばれる人です。しかし、テレビ局にとっては、重要かつ、大切なのはスポンサーだけです。

テレビ番組に限らず、企業のPR事業の大きな矛盾は、それを楽しむ人と、それをつくるのに必要なお金をだす人が別々だ、ということです。つくり手はその両方の機嫌をとらなくてはいけません。そして、往々にして、それは矛盾してしまうものです。

ここから更に憶測になってしまいます。上に述べたことにもらからんでくることだと思いますが、番組の編成上の枠のようなものの融通がきかないことがまた、大きな問題であり、テレビ離れを加速している大きな原因だと思うのです。

おそらくですが、時間ごとにスポンサーが違うので、それは普通は一時間ごとで区切られているので、簡単にはそれを伸び縮みさせることはできないのでしょう。

しかし、現代社会では消費者を軽くみるものは衰退せざるを得ません。テレビ局がインターネットが発展するまで繁栄していられたのは、規制に守られていたからに過ぎないのでしょう。かれらが今、普通にされているような、放送枠がどうとか、スポンサーの調整がどう、というのは、また、報道とドラマとバラエティーをつくる人の間で融通がきくかどうかなどは、消費者にはまったく、関係のないことです。

具体的な話をしてしまうと下世話になってしまいますが、例えば、各局、夕方にドラマの再放送をしますよね、それで、どういうわけか、再放送のときはコマーシャルが多いですよね。それにもかかわらず、元々一時間の枠内のドラマを同じく、夕方も一時間のなかで放送するということは、カットされているところがあるということですよね。

いや、理由はしりませんが、CMが多くなってしまうのはいいのです。イヤですけど。それならば、単純に放送時間を長くすればいいのです、視聴者からすれば。それをやらないのは単純に視聴者を軽くみていることに他ならないのです。

更にいわせていただきますが、この弊害は、どの組織も陥りがちなことです。それはお役所も同じ、というよりも、お役所こそ、やってしまいがちなことです。縦割り行政がどう、とか。しかし、そのお役所の縦割り行政などを批判するテレビが、自分も同じことをしているのに、素知らぬ顔をして、また、自分のことでもあるので、何故縦割りがおきてしまうのかなど、分析も簡単にできるはずなのに、それもせず、他人事のように批判をしているのが腹立たしいを通りこして不思議なくらいです。(本当は不思議でもありませんが。人間ってそういうもんですから)

大きな目でみれば、時代の流れということかもしれません。必要とされなくなった事業は廃れ、そこにつぎ込まれていた資源は、また、新しく必要とされる事業に移っていくのでしょう。

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