時事その他についての考察

人が不幸なのは神が仕掛けた罠

テレビで水生昆虫のタイコウチが獲物を捕っている姿が紹介されていました。

タイコウチが獲物を捕る方法というのが、クワガタののような鎌状のものを常にひろげていて、とにかく、ひたすら獲物がその鎌のなかに入ってくるのを待ち、偶然、入ってきた瞬間にその鎌で獲物を捕らえる、というものでした。当然、そういう方法ではひたすら、ひたすら、絶好の機会がくるのを待っていることになります。

それは子ども向けの番組だったようで、ナレーションで、さも、タイコウチが考えているかのように、“なかなか獲物が来ないなぁ”とか、“ずっとこうしていると感じる足が疲れるなぁ”などといっていたのです。

勿論、タイコウチがそんなことを考えているわけはなく、ただただ、本能に従って行動していたのでしょう。

タイコウチは考えないけれども、ヒトは考える。何故ヒトは考えるのか。これはやはり、状況の変化に素早く対応するためではないでしょうか。

爬虫類くらいまでは状況への対応は世代交代による進化することでしか得られません。

霊長類までになると、一つの個体が生きている間でも、もしも偶然の発見などがあれば、それを利用して状況の変化に対応できることもあるようです。

しかし、はっきりと変化に対応しようと目的を持って考えるのは、おそらくヒトだけです。

これは、生存に有利になるためにそう進化したのでしょうが、別の見方をすると、より多くの獲物をとりたい、または、より多くの縄張りを得たいという欲望が、他の生物に比べて多いということにもなります。

多くの欲望があるので、それを埋める方法を見つけるために考えはじめた。または、考えることにより、より多くの欲望を持つようになった。どちらでも結果としては同じことになりますが。

ヒトはただ、“生き残り、子孫を増やす ”だけでは満足できない、多分唯一の動物です。そうして、それがさらに進歩するためには、決してその欲望を満足させてはいけないのです。満足してしまうと、それで進歩が止まってしまいますので。

決して満足できない欲望を持った、それはつまりは、決して幸福になることはないということになります。ヒトが不幸である、というのは、ですから、もともとその存在の根底に組み込まれていることです。

いってみれば、不幸というのは、私たちが勝手にこしらえた幻像です。勝手に欲望をつくり、勝手にその欲望を決して満足できないものにして、それが満足できない、という理由で自分のことを不幸だと思ってしまうのです

動物は欲望に基づいて行動するだけです。うじうじ考えたりしません。だから覚悟を持っていて、格好いいのです。ヒトがあれこれうじうじ考えるのはしかし、より良い結果を出すために私たちに与えられた能力です。その能力をうまく使えるかどうかはそれぞれですが、うじうじするのは別に恥ずかしいことではありません。それは明日への鍵かもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。