時事その他についての考察

尊敬する人は誰かと問われればプリンスと答えます

そんなに知っているわけではないのです。プリンスのことは。

作品を追いかけるのも、「エマンシペイション」くらいまででしたし、「パレード」より後のものは、ほとんど理解が追いついていませんでしたし。

しかし、人生における、いくべき道を、はるか先から先導し続けてくれた人であったのです。

「Pop Life」のなかで、あの声で、“ポップ・ライフ”と執拗に繰り返されれば、ポップな人生、生活ってなんだろう、と考えざるを得ませんでした。“余裕が大切なんだよ”といわれている気がしました。

「ペイズリー・パークはきみの心のなかにある」と歌われれば、ペイズリー・パークというのは一種の理想郷のことであって、それがどんなものであるのかは、皆、自分の心を見つめてみればわかることなのだ、といっているのだろう、と想像しました。

I don’t care we spend the night at your mansion, I don’t care we spend the night on the town. All I want is the spend the night together, all I want is the spend the night in your arms.というのは、そのメロディと一緒に聴かされれば、これ以上のラブ・ソングはない、と思ったものです。

ラブ・ソングでは、If I give you diamond and pearls. Would you be a happy boy or girl. If I could , I give you a world. But all I can do just offer you my love.というのもあります。

Nothig forbidden, nothing tabbo, when two are in love.

プリンスは、わたしにとっては先に行きすぎている人なので、その言動を見聞きして、すぐにその意味がわかることは、ほとんどありませんでした。

時間がたってから、ああ、あれはそういう意味なのか、と想像できたくらいです。

独特の、毒々しいまでの衣装、くねくねと気持ちの悪いくらいのパフォーマンス。その意図らしきものを推測できるまでもそうでした。自分の美しいと思ったもの、信じるものを表現するのだ、たとえ他人にどう言われ、思われようとも、ということなのだろうと思いつくまでにはしばらくかかったと思います。

そのように、作品のなかだけではなく、その言動がいちいち、こちらを鼓舞するものでした。

レコード会社から独立するときも、わたしは詳しいことは何もしりませんが、待遇が他のミュージシャンより悪かったわけではない気がします。かえって、破格の待遇だった可能性のほうが高いでしょう。

それでも、契約に縛られている、そのことがイコール“奴隷状態”なのだという。

それは、この世の中では得られない、究極の自由を 求めているのだ、ということだと解釈しました。

プリンス、という名前を捨てる、ということも、名前によって、自分の存在の可能性が狭くなる、縛られる、と感じたのでしょう。そうして、自分はそれを克服できても、表現を受けとる私たちのほうが、想像力を縛られるだろう、と思ったのでしょう。

ですから、プリンスが求め続けたものは、言葉の本当の意味での“自由”ということだと思います。

わたしがそう考えられるのは、忌野清志郎さんのおかげです。

「自由」という曲。

“口やかましく言われてもおれを変えることはできない。だっておれは自由。責任のがれをする。おれを縛ることなどできない。だっておれは自由。汚いこの人生、世界で、一番きれい、大切なもの、それはおれの自由。すべての奴らに自由を”

初めは何を勝手なことを、と思いました。でも、突き詰めると、忌野さんは正しい。

それは現実の社会で実現できるかどうかではない、私たちが常に心に抱き、常に目指していなければならないものなのである、と教えられました。

その土台があったので、プリンスのいうことも、時間はかかりますが、なんとか自分なりにつかめることができたのです。

「lovesexy」というCDは曲を飛ばすことができません。仮に最後の曲を聴きたいと思っても、それを聴くためには、CDを通して聴かなければならないのです。

プリンスとしては、CDはそのすべてで一つの作品であり、一曲めの頭から、最後の曲まで、曲のあいだの時間もふくめて考えてつくっているのだから、聴くのだったら腰を据えてその全部を聴いてくれ、ということだったのでしょう。

大変に申し訳ないのですが、「lovesexy」ではそういう聴きかたをしたいとは思わなかったのですが、その前の「パレード」を聴くと、プリンスのいいたいことは良くわかります。

アルバムの掉尾をかざるのは、「スノー・イン・エイプリル」という世にも美しい曲です。これは勿論、それだけで聴いても美しいのですが、“世にも美しい”までにいくには、一曲めの頭から「スノー・イン・エイプリル」にたどりつくまで聴きおえることが必要なのです。

「パレード」というのは、おそらくリズムを追求した作品で、それは最先端のものと思えるのと同時に、人類が根源的にもっているものとも感じられます。(いわいる、アフリカのリズムを感じさせます)これはとても刺激的な曲群ですが、その分、緊張し、疲れるものでもあります。

そのあとに、美しいアコースティック・ギターと、語りかけるようなプリンスの歌ごえの「スノー・イン・エイプリル」がくるので、やられちゃうわけです。「スノー・イン・エイプリル」を中心に考えると、それまでの曲は前振りともいえちゃうくらいなのでした。

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