時事その他についての考察

詐欺と商売の境界線

結論を先に言いますと、全ての商売には詐欺的な要素がある、ということなのですが。

詐欺と合法的な取引との違いはお金を払った側がそれに見合ったものを受け取ったと思うかどうかです。

つまりは、気持ちだけの問題であって、そのものの価値が釣り合っているかは問題でありません。(何かの価値をどう判断するのか、という問題は、また別に考えるべきことなのでここでは保留します)

これをひっくり返していうと、対価を払ったものが、その見返りに受け取ったものに満足している限り、それに実際の価値があろうとなかろうと問題にはならない、ということです。

詐欺であれ、合法的な取引であれ、普通、そこには利益というものが生まれますが、そこに適正な利益率などというものはありません。原価割れであろうが、ボロ儲けだろうが、結局は支払うものがいるかどうかだけの問題です。一般的に言われる適正な利益率というのは、“その業態であれば、このくらいの利益率で考えれば顧客もつくし、まずまずの利益も出て営業も続けられるだろう”という経験、またはデータから見た 目安に過ぎません。

商品を提供する側に騙す意識があるか、ないかで決まるのではないのか、と思われる方もおられるかもしれません。これは、よくいう、必要条件ではありますが、十分条件ではありません。何かを売っている人で(厳密に言うと我々全員)いくらかなりと、後ろめたさ、騙している意識を感じていない人がいるとしたら(沢山おられると思いますが)それは自覚、自己批判といわれるものが足りないだけです。

考えて見て下さい。笑顔だったり、感じのいい接客や人当たりの良さなどというものは詐欺師のテクニックそのものです。

人の心の中に入りこむ、これが詐欺のテクニックの中心であって、これは商売も同じです。

よく、お店をやってらっしゃる方がテレビで売れている商品についてインタビューを受けていて、「お客様に喜んでもらおうと思ってやっているだけです」みたようなことを人の良さそうな顔でいわれます。これは勿論、『喜んでくれれば商品が売れて儲かりますから』が省略されています。いや、非難しているわけではないのです。ただ、何となく片付かない、というか、どっかがもぞもぞするのです。

ただ、じゃあ、そういう笑顔などを作らない商売人が誠実で信用できるのか、というと、必ずしもそうでもなく、そもそも、商売上のテクニックを使える人は能力の高い人である可能性が高い、ということは商品そのものにも気を配れる人である、すなわち、商品そのものも優れていると思えます。ただ、もしかしたら、少し、値が張るかもしれません。《スマイルは0円》ではないのです。

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