時事その他についての考察

皆、戦争反対というけれど・・

NHKのいわいる朝ドラなどは大体、戦争の時代をはさんできます。そうすれば、大体、話は面白くなります。どうなのでしょう?本当に戦争の悲惨さを体験した方々はそういう話は見たくもないのではないでしょうか?本当に酷い目に遭い、またもしかしたら戦場で酷いことをした人達は、戦時中の話はほとんどしない、といいます。

朝ドラを初めとする、マスコミ関係者は、一様に、二度とあの悲惨さを繰り返さないため、出来事を風化させないために、戦時中の話は繰り返し、描きづつけなければならない、と言います。視聴者側も同じことをいうのでしょう。それが間違っているとは申しませんが、一度ご自分の心の奥を探られてはいかがでしょう?そういう建前の向こうに純粋にドラマとして楽しんでいる自分がいるのではないでしょうか?

申し上げたいのは、そのことを認めないと、また同じ事を繰り返すことになるだろう、ということです。

戦時中の日本国内を描いたシーンでよくあるのが、愛国心に燃えた隣組の人などが主人公とその家族を些細なことで糾弾する、というものがあります。服装が派手だとかね。自分ももしかしたら、その糾弾する側に立ってしまうかもしれない、と想像できる人間でなければ、また同じ様な時代が来たときに糾弾する側に立つ可能性は高いでしょう。同様に、戦時中の話を実は楽しんで見ているのに、それを自覚せず、指摘されても認めない人の反戦思想は、ただ時代の流れに沿ってそういっているだけで、また流れがかわったら全く違うことを言いだすのでしょう。

米中の対立を初め、最近の世界情勢は危険な方向にいっている、というのはよく指摘されることです。

米中の争いは、世界の覇権を巡る争いなので、人類の性質から見て必然といえなくもありませんが、(だからといって喧嘩していいわけではありません)イギリスのEU離脱、日韓の争いなどは、無意味な、いわば争いの為の争いのようにも思えます。

現実の世界情勢からの分析とは別に、人類の深層心理を考えた時にも、今後、世界は危険な方向に行く気がしてなりません。

争いに満ちた人類の長い長い歴史の中で、現代が、今後、全面的な争いはもう起きなくなるまさに画期的で偉大な時代の初まりである、と無邪気に考えることは、かなり無理があることには同意して頂けることと思います。

(過去と比べて違うところは、核兵器の登場と、まがりなりにも力のある国際機関発足でしょうが、国際連合は機能不全の手前まできてしまっている恐れが高いですし、核兵器の恐怖に私たちは麻痺している感があります)

どうも、現在、人類に欲求不満が溜まっている気がしてなりません。このあたりで一度、ガラガラポンと壮大な破壊をしたいという無意識の強い欲求が高まっている様な嫌な感じがします。

この様な、不吉な予感などは大外れするにこしたことはないのですが。

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