権力者がインターネットによって人民を完璧に管理出来るようになってきている。
社会に“遊び”というものがなくなる。
それは一種のディストピアと言えるだろう。
おそらく、官僚機構ができた時も被支配者には同じ問題が起きただろう。同時にそれは支配者から見ると官僚し易い体制になったということになる。
しかしながら、インターネット社会においては、それは同時に、脆弱な体制になもなりうるということでもある。
単純なシステム障害は勿論、一人のハッキングの天才児があらわれ、それが反体制側に立つと社会機能がほとんど完全に壊れる事態にもなることもあろう。
体制側がそれらに備える方法の一つは旧来のテクノロジーを保存することだ。
例えば、ファックスというものは、今はデジタル化が遅れていることの象徴的な意味合いがある。
しかし、デジタル社会が崩壊することがあれば、それは非常に貴重な情報伝達機械になる。
(話は少し違うが、一般家庭においても、電気がインフラの殆どを担っている現在、非常時には昔ながらの灯油ストーブが威力を発揮することもあるだろう)
そういうバックアップを備えることは費用もかかる。
また、大多数の賛同も得られないだろう。
だから実際にはそれが備えられることはないだろう。
そうして、それは、いつの日か、大きな後悔を産む元凶となるのかもしれない。