※まず、言わなければならないのは、本来、もっと批判されるべき問題が多くあるということだ。
よく言われるように芸能関係のスキャンダルというのは大きな疑惑を国民の目からそらすために利用されているのかもしれない。もしもそうだとしたら、週刊文春という雑誌はそのための雑誌か、それは言い過ぎだとしてもそれに利用されているのかもしれない※
フジテレビの番組のスポンサーが、そのCM枠をACジャパンのそれにあてていることが注目されている。そうして、それをしない企業は批判される事態にもなっている。
ついにはキッコーマンが、自社の一社提供である、「食いしん坊万歳」の放送差し止めを要求したとの報道もある。
それに対して、番組に出演し続けている者たちが批判されることはない。
事態に対して意見を述べたアナウンサーが批判されている。
それに対して声をあげないアナウンサーは批判されることはない。
SNS上で、かつて自分の知り合いも同様の被害を受けたと聴いていた、と発言した者が、「あなたはそれを知っていて放置していたのか」と批判されている。
それに対して当然、多くを知っているだろう、いわいる大御所、それでいて発言をしない者が批判されることはない(例外はある。明石家さんま氏が揶揄された投稿は見たことがある)
企業とタレントでの扱われ方の違いは、大きな力を持つものと、売れっ子タレントと言えども所詮は個人だということの違いが原因なのかもしれない。
声を上げた者が批判され、黙っている者は許されているのは、目立ったものが叩かれているということだろう。
つまりは、物事の本質を見ようとする者はほとんどいない、ということなのだろう。
我々は目に入ったもの、耳にしたものに反射的に反応しているだけであり、本質的に虫と同じである。