1・だとすると、現在において週刊文春という雑誌はそのための駒ということになる。つまり、然るべき時にスキャンダルを打ち出す道具として使われているということだ。(独自取材だけで記事を書いているわけではなく、しかるべき筋から、目くらましの目的に沿ったリークに基づいているということ。中居氏に対する記事が一報目と二報目で内容が大きく違っているのもその情報が受け売りだとしたら説明がつけやすい)
そうだとすると、その事実に当の雑誌社が気付いていない筈はない。知っていて売上げのためにあえて利用されているということになる。
2・仮に醜聞が為政者の目くらましだとしても、マスコミはそれ以外の重要なニュースも報道することはできる。それをもって政権批判することもできる(今回のことで言うと中国人へのビザ支給の大幅緩和など)それをしないのはマスコミというものは所詮は為政者の言いなりだということに他ならない(勿論、為政者側もマスコミ側もすべての人がそうだというわけではないだろう。ただ、大きく括るとそうだということ。そりゃそうだろう、収入源である広告は企業からのものだし、大企業が政府と癒着しやすいのは当たり前。また、テレビでいうと放送権は国から与えられている)
3・大きな交通事故の揉み消しなど、いわいる上級国民になれば大概のことは許されるとも思われていた。実際、中居氏もこれまで守られていたことも多かったのだろう。しかし、中居氏ほどの力を持っていると思われていた人物でさえ、都合によっては切り捨てられることが顕となった。但し、それがどういう力学のもとで行われているのかはわからない。フィクションにあるように白髪の権力者が「あいつはもう駄目だな」みたいな一言で捨てられるのかもしれない。誰かが決めているということではなく、日本的になんとなく次の犠牲者が決まるのかもしれない。権力者たちにもランクがあって、中居氏のランクはそれ程ではなかったからかもしれない。純粋に情報の漏れ方が致命的で助けようがなかったのかもしれない。元々目くらまし用の人物たちは用意されていて(つまり、上納というのはハニートラップと同じようなものだったのかもしれない)今回が中居氏の順番だったのかもしれない。
つくづく思うのは、権力を持つと人は腐るということだ。勿論、そうならない人はいるだろう。しかし、大勢に押されてそういう人も道理を通すことはできないだろう。また、権力とは縁のない私たちも、そういう立場になったら同じ様に腐敗することだろう(今は被害者であるパレスチナ人も、イスラエルより強大な軍事力を持ったら今度は彼らがイスラエル人を迫害するだろう。日本においては被差別者である沖縄の人たちも、昔は自分たちよりも弱い石垣島を迫害していたという話を聴いたことがある)