時事その他についての考察

「他人事」とは、実は重要な心持ちなのかもしれない

基本的には、何事も自分事として考えるべきだと思う。

「水曜日のダウンタウン」というテレビ番組で、コロナ対策を茶化したような回があり、それに対する批判が多数みられる。

批判というか、怒っている人たちは、今もコロナで苦しんでいる人やその家族が多い。

そういう人たちが、番組を観て腹を立てるのは当然のことだ。

その怒りを表明するのも、勿論自由だし、そうしたくなるのはわかる。

しかし、それを見た人たちが、その主張に賛同して、例えば番組を攻撃したり、尻馬に乗って批判をはじめたとしたら、それはおかしい。

※いや、ここからが難しいのだけど、それが必要なこともある。ヒトという動物は理知的に見れば考えられないようなあくどいことをすることがある。その中でも悪質なものは被害者や関係者だけでなく、関係のない者たちも賛同し、行動しなければそれを止めることは出来ない。「何事も他人事とは思わず、自分事として考える」ことの重要さがここにある。しかし、その大切さが何にでも当てはまるわけではないことを、この事例は示している※ 

我々の生きているこの世界は残酷で理不尽で不条理なことに満ち満ちている。

それを完全に正すことはできない(更に言えば、おそらくしてはいけない)

そんな中で生きていく我々に、どうしても必要なものの一つが風刺であり、笑いである。

風刺や笑いというものは、原理的に全ての人を満足させることはできない。

これは本質的に差別的なものであり、「誰か」は笑い者にされる。 

笑い者にされた人が、怒り、苦しみ、攻撃するのは当たり前のことだ。

しかし、そうでない人がそれに乗っかってはいけない事がある。

他人事を自分事としてとらえてはいけないことがある。