このドラマに関しては、ツイッターで阿呆みたいに感想を書いているのだが、如何せん、周知の通りツイッターには文字数の制限がある。とてもあの文字数では書ききれないのでここにも記す。
申し訳ないがドラマの命題である男女格差などに関してはあまり関心はない。当事者ではないからだろう。(勿論主張には賛同している。また、全く心が動かないとか、心が傷まないわけではない。ただ、主な関心事はそれではない、ということ)
初手から感心せざるを得ない。川っぺりで主役の伊藤沙莉が新聞の切れ端を読んでいるシーンから始まる。(正確には笹舟が川岸に流れ着く場面から。この笹舟も気になる)読んでいるのは新たに公布された日本国憲法の条文の内、男女平等をうたったもの。
伊藤沙莉=寅子が荒廃した街を進む。その道中のそこここで女性たちが(一人男性もいた)おそらく、先程寅子が読んでいたのと同じものを食い入るように読んでいる。
寅子の向かった先は司法省?であり、つまりは彼女の新たな職場。そこで旧知らしき人事課長に会う場面で時代が一気に遡る。
つまり、遡った時代は、ここに向かって進んでいくということになる。しかしまた、そこは物語の最終場面ではなく、彼女の戦いはそこから新たに始まるのだろうということもわかる。
ドラマ特有のご都合主義が極めて少ない。いわいる突っ込みどころがほとんどない。(勿論、世の中にはない突っ込みどころを細かく探して誇らしげに報告する輩がいる。しかし、それらの意見のほとんどは見当外れであり、そうではないものも制作者の意図が汲み取れないものがほとんど)
例えばドラマ特有、朝ドラでは名物とも言われる立ち聞きシーン。虎に翼でもそれは頻繁に出てくる。しかし、それら一つ一つに丁寧に必然性が描かれている。
花江が嫁の立場を愚痴るシーン。姑であるはるがそれを偶然聴いてしまうのだが、まずは同じ家にいるので充分有り得ることだというのに加えて、客にお菓子を差し入れに来た、という設定までなされている。
(ぼくの記憶の中では、同じく、家の中での立ち聞きがあと二回あるが、いずれもコメディタッチにしている。つまり、それまでの朝ドラのパロディをやっている)
大学で花岡が梅子に謝罪する場面では、轟と寅子の二人が立ち聞きするが、轟は花岡と一緒に病院から戻っていており、その際に梅子に謝罪をする旨を花岡から聴いていたのかもしれない。そして彼を心配する仲間としてそれを立ち聞きするのは自然。
寅子にしても、こっちは花岡に謝るために病院に行ったが、退院した花岡と入れ違いになった、という設定。
大学に戻った寅子がそのまま花岡を探すのは自然であり、結果としてその場面に行き合わせたのも自然。
重要なのは、立ち聞き一つ一つに説得力をもたせているということ。しかもくどくない。
人物の上げ下げの巧妙さ。
初めに印象の悪い人がその後いい印象に変わる、またはその逆は実生活でもドラマでもよくある。
しかし、虎に翼はその描きかたがフェアである。それは同時に策略的であるとも言える。どういうことかと言うと、一見、偏見に充ちたことを言っているように見せかけて、実は物事を公平にみる人だという仕掛けがあったり、また、その逆もある。
これは轟と花岡のことを言っているのだが、轟初登場の場面で、一見男女差別に捕らえかねない発言があった。しかし、それは丁寧に聴けば差別などではなく、男女にはそれぞれ別の役割があるだろう、と、差別ではなく区別すべきだと言っていることがわかる。
しかし、言い方がいかにも男性優位と見られるものであったので、視聴者の多くは誤解することになる(これは当然、わざと誤解させたということだろう)
ところが、差別意識は初めからなかったので、区別意識が偏見であったことにもすぐに気がついて、その考えを撤回することになる。
逆に、女性に理解がある風の花岡の論理は、女性の中にも男性並みの能力を持つ人たちはいる、というもので、つまりは、その他の女性はそうではない、と言っていることになり、これは差別意識そのもの。
これは4/27現在、改心した風ではあるが、その台詞から判断する限りではっきり自分の過ちを理解しているようではない。
普通のことを悪そうに言うことで、良くも悪くもない人の印象をとりあえず悪くしておく、という技も使われる。
梅子の息子が直言の弁護を引き受けない理由を言うが、負けることが決まっている裁判を引き受けたりはしない、というのは普通の判断であろう。
しかし、これをいかにも悪しざまに、更にははっきり悪役である父の言葉に続けて言わせることで視聴者に対する印象を悪くしている。
※本当は検察官も家宅捜索をしただけの段階ではいかにも悪役じみていたが、彼は仕事をしているだけだったので、これもイメージを転換させる前振りかとも思ったが、少なくとも裁判決着時までは悪役のままである。
取り敢えず、現段階ではこんなところだろうか。
今まで観たところ、「虎に翼」は既存のドラマの文法をある時は否定し、ある時はパロディにしてみせることでドラマの新しい文法を提示しているかに見える。
それは、これまでのところ極めてうまくいっているが、なにしろ長丁場の朝ドラ、今後どう展開していくのかはわからない。
※例えば、初期の回で、役名もない通行人の多くに説明的な、意味のある芝居をさせていたなど、多くの人が指摘していることは割愛した。