多くの日本人が知っていながら、BBCの報道があるまで問題の解決どころか、問題が存在することすら触れられずにきたジャニー喜多川氏の性加害。
これを見て、日本社会には自浄作用が無い、と思った人も多いだろう。
これは、言葉の上では正しいと思う、しかし、彼らの考える自浄作用は、この問題で機能しなかった自浄作用とは少し違うのではないか。
現在、Tverで「問題のあるレストラン」というドラマが配信されている。2015年の作品だそうだ。
これは、構造的に社会から迫害を受けてきた女性たちの戦いの物語である(ようだ。まだ第一話しか観ていないので)
ドラマを観ると、2015年というのは、既にセクシャルハラスメントやパワーハラスメントという言葉は多くの人が知っている言葉であるようだ。
しかし、主人公の在籍していた会社では、それらがなんの衒いもなく横行している。
例えば、飲み会で中年の男性社員が若い女性社員にベタベタ触ったり、性的な発言をくり返しするといったセクハラを行っている時、他の男性社員たちは「誰々さん、それセクハラですよ」といいながらその誰々に加わってかえってセクハラを加速させる。
勿論これはドラマであるが、実際に日本中でこのようなことが行われていたに違いない。
何故そんなことが起こり得るのか。それは、セクハラを行っている当事者たちは、それが悪いことであるとは全く思っていないからだ。
ドラマには出てこないが、実社会には水商売の人ばりにセクハラを受け流して笑いに変えることが出来る人も沢山いたのだろう。
男性社会としては、女性社員のそうしたある種の技術は、女性の社会人の当然持つべきスキルであるだろうくらいに思っていたのではないか。
質の悪い一部を除いて、男性社員としては、セクハラ発言などはただの冗談、場を和ませ、盛り上げるための社会人としての嗜みくらいの気持ちだったのだろう。
勿論、当時でもあってもセクハラ、パワハラは場合によっては犯罪行為である。
しかし、たとえ公の場では大っぴらにできないことでも、当人たちに罪の意識がなく、相手の受ける傷の大きさにも気付かないのであれば、その言動をただしようがない。
一般にジャニー喜多川氏の犯罪においての自浄作用の欠如というのは、「そこに大きな問題があったのにも関わらず、ジャニー喜多川とジャニーズ事務所の持つ巨大な権力に怖じ気づいてそれをただすことができなかった」ことを指すのだろう。
しかし、実は我々はジャニー喜多川の犯罪をそこまで重大なことだとは考えていなかったのではないか。
社会全体が、勿論犯罪行為ではあるが、それほど重大な犯罪ではない、と思っていることに自浄作用などが働くはずがない。
当時、我々の多くが「問題のあるレストラン」にでてくるセクハラ男性社員であったのではないか。
「被害者も芸能界での成功のために受け入れたことなのだろう」と、幾分かであっても思っていたし、そもそも男の受ける性被害というものが理解できていなかった。
だから、BBCの報道というのは、外圧という見方もできるが、改めてその犯罪を、その重大性が理解されたきっかけだったのだろう。
そうして、それまで大した犯罪ではないのだろう、となんとなく思っていたことを都合良く忘れてしまったのだろう。
そうして、権力や金になびき犯罪を見過ごす腐ったメディア、自浄作用のない日本社会、といった自分たちは傷付かない、都合のいい物語に逃げ込んでいるのだろう。いつものように。
※念の為に言うが、これは私自身に対しての攻撃でもある。ここで描いた無自覚な加害者は自分のことでもある。