時事その他についての考察

aikoの魅力の正体とは

aiko最大の魅力は、その声にある。

優れた楽曲も心を打つ歌詞も良くできたアレンジも一級品の演奏も、更には歌の上手さすら、大袈裟に言うとその声を引き立たせる道具にすぎない。

ちゃんとした根拠を示せと言われると困ってしまう。

例えば周波数など、数字で示せる根拠はあるのかもしれないが、僕にはそれを示すことはできない。

ただ、そのつもりで聴けばわかるだろう、という気はする。

うっすい根拠としては、例えばあれだけ歌唱力のある人が、テレビでよくある、歌うま歌手ランキングではなかなか上位には入らないということがある。

どういうことかと言うと、あからさまなビブラートや過剰に感情を込めた歌い方など、わかりやすく歌の上手い感を出す歌い方はしていないのだ。

そうではなく、自分の声の魅力が最大限に出る歌い方をしている。

バラードでよく使われる技だが、まるで母が幼な子に絵本を読み聞かせしているかのような語りかけるような歌唱をしている。我々は、寝床で母の存在に包まれているかのような安心感を覚えることになる。当然、感情移入などの技はあるが、それ以上の過剰なテクニックは使わない。必要がなく、邪魔になってしまうからだ。 

ということは、当たり前だが、aiko本人も自分の最大の武器を自覚していることになる。

想像だが、小さい頃からよく歌をうたい、おそらく録音などもして、自分の歌が最大限、魅力的に聴こえる歌い方を会得してきたのだろう。

声そのものに多く才能が入っているということは、他人の曲であっても、自らの歌唱に合うものであれば、場合によっては原曲を超えることもあることになる。

オリジナルファンの人には申し訳ないが、個人的にはB’zの「いつかのメリークリスマス」と荒井由実の「ひこうき雲」のカバーがそうだと思う。

他に、声に才能の多くがつまっている歌い手としては、例えばジョン・レノン、ドアーズのジム・モリソン、日本だと沢田研二がいるが、aikoと似た存在としては松田聖子を挙げなくてはならないだろう。その二人の歌を聴いた時に心に響く場所が、「瞳はダイアモンド」を聴いた時と「恋をしたなら」を聴く時に揺さぶられる部分が同じである気がする。(松田聖子のほうが幾分艶っぽくはあるが)

バラードではなく、速い曲でも声の重要性は代わらないが、その他の技はまた違うものになる。卓越したリズム感とタイム感(という言葉があっているかはわからないが、音を出すタイミングが絶妙であることが言いたい)で我々を高揚させる。一流の歌い手であれば出来ることではあるが、そこには優劣がある。近年では星野源が卓越している。星野源などはそれに特化しているのでその邪魔をしかねない感情移入などはやらないくらいだ。

だから、具体例は知らないが、aikoの楽曲をカバーするという無謀なことをした人は痛い目にあうことになるだろう。