聖書にペリシテ人という人たちが出てくる。ユダヤ人の敵役である。
中野京子さんによると、このペリシテ人こそが、パレスチナ人なのだそうだ。
イスラエルとパレスチナのほとんど解決不能なのではないかと思われる問題があるが、その根底にあるものがわかった気がした。
何しろ聖書の時代からの仇敵なのだ。聖書は勿論ユダヤ側からの視点であるが、ペリシテ人を迫害することに躊躇はない。
これはペリシテ人から見てもおそらく同じことで、彼らもユダヤ人を迫害することに躊躇いはないだろう。
すなわち、現代のパレスチナ問題はユダヤ側からみるとまさしく聖書の世界のままの出来事なのであろう。
さらに、ユダヤ教というのは自分の利益のために相手を騙すことを推奨している教えだ。(おそらくは過酷な自然環境のなかで生き残るためにそういう考えになったのだろうと推察される)
いかに現代のパレスチナの民がイスラエルの非道を訴えても、国連が警告しても、それにイスラエルが一顧だにしないように見えるのも彼らには当然のことなのだろう。
更にいうと、仮にイスラエルとパレスチナが逆の立場だったのしたら、おそらくパレスチナはイスラエルに同じ態度をとるのではないか。
つまりは、彼らの争いは法もなにもない剥き出しの勢力争いであり、話し合いなどで解決のつく問題ではない。
そうであれば、解決への道筋は二つある。
一つはパレスチナに力を持たせて武力で自らの勢力を取り戻すこと。
もう一つはイスラエルがパレスチナに譲歩していいと謂われる程のなんらかの交換条件を誰かが出すこと。