世に出る言論は概ね物事の一面しか捉えていない。そうしなければ伝わらないからだ。
何かを解釈する時、何かについて考える時、見方によって結論が違うことがある。いや、違ってくるのが普通だ。
しかし、それを人に伝える時には多くの見方を同時に伝えるのは相当に難しい。わけのわからない文章になってしまう。
それで、仕方なく普通は一つの文章では、一つの見方だけを提示することになる。
例えば仏教の説法で、それぞれの話で、同じ主題に思えるのに結論が違う話がある。それはそういうことなのだと思う。
だから、受け取る側も、その事を考えにいれて読まなければならない。
人は、自分で考えたことは訂正できるが、人から聴いて感心して鵜呑みにしたことはなかなか訂正できないから。