メディアで日本の将来の話になった時に、日本はもう駄目、破滅に向かうという結論を言う人たちが余りにも多い。
そして、皆何を持って駄目だと言っているのか、どうなると破滅なのかということは言わない。それは共通の認識だとでもいうかのように。
将来の見通しは暗いという話ならわかる。経済的にも政治的にも力を失っていく過程は容易に想像できる。
彼らはそれを大袈裟に駄目だ、破滅だと言っているのだろうか。
そうだとすると、先進国以外のほとんどの国、それどころか先進国でも多くの国々はすでに駄目で破滅していることになってしまうのだが。
まあ、彼らのことを言っても仕方がないのでこの話はここまでにする。ここまでの結論としては、日本は終わりなどということを言っているのか人たちのいうことなどはまともに聴く必要がないのということである。
そうではなく、まともな分析をする人も当然いる。
普通に現状を分析すると、日本は近い将来には経済的には中進国の水準になるのではないか。それも、何をもって中進国と考えるのか、減っているとはいえ人口一億を超えている国はあまりないのでGDPの順位はさほどさがらないのではないかということもあるが、大体はそんなところなのではないか。
それにともなって政治的地位も下がることになる。G7からも外されるかもしれない。少なくとも国連の非常任理事国の常連であり続けることはなくなるだろう。
しかし、当たり前であるが、それで国がなくなるわけではない。滅びるわけではない。
栄えたものが衰えるのは普通のことである。
日本もしばらくは世界のトップに近い位置にいたのだが、それが続かないのは当然のことであろう。
問題はどちらかといえば政治の停滞なのであろう。
何故政治がより問題であろうと思われるのかというと、やり方次第でいくらでも回復できるだろうと思ってしまうからだ。
しかし、実際にはそうではない。
日本くらい柄が大きくて、出来上がっている国の仕組みを変えることはとても難しい。我々は正にそのことを日々思い知らされている状態なのである。
しかしくり返しになるがそれで日本が終わってしまうわけではない。
経済、政治で衰えても、文化の面で日本は躍進する可能性が大いにあると思われる。
アニメーションやマンガ、更に重要だと個人的に思うのはかわいいという概念である。
かっこいい、ダサいというのも結構重要であった。これらは感覚的なものなのでそれまで通用していた論理的な考え方を無効にしてしまう力がある。
これらはいわいる若者言葉といえるだろう。そしてそれはそれまで世界を支配していた大人の論理を無意味にしてしまう力がある。
勿論それはその概念が大多数の人たちに共有されているという前提があればの話ではあるが。
しかし、かっこいい、ダサいという概念は男性的なものだ。そこには例えば戦争の英雄がかっこいいなどという、破壊的な事柄を良しとする傾向が残っている。
かわいい、の凄いところは人間にとってマイナスになる事柄が評価される余地がないことである。
それが戦争の英雄であろうと決してかわいくはない。
つまり、かわいくない、はダサいを超えているのである。
話が逸れてしまった。日本の可能性についてであった。(勿論、かわいい、もその重要な可能性であるが)
例え経済的、政治的に存在感がなくなっても国の意義というものはそれだけではないということだ。
フランスなどは経済では中流だろう。政治は一流などというが、それもかなり強引にそう思わせているところがあろう。
しかし料理やファッションでは間違いなく一流である。
イギリスも同じようなものだ。
経済は中流。
政治では存在感がある印象はあるが、首相の交代要因の詳しいことも日本では一般には報道されないくらいである。大したことはない。
しかしロック・ミュージックはビートルズ以降、イギリス抜きで語ることはできまい。
(ロックやポップス、更にはヒップホップミュージックがどの国が支配的なのか、またそれは何故なのかというのも面白い課題だが)
日本もそれらの国と似た存在になり得る可能性は充分にあるのがつまりは結論になる。
(イタリアやドイツはどうなのだろう。特にドイツは日本ととても似たところがあるので気になるところではある)