古来、政治は利益を得る行為ではあり得ないという考えが主流のようだ。
古代ギリシャ及びローマでは政治はボランティアであった。
東洋でも儒教では、指導者とは選ばれた人間であり、政治とはその者が、持っている徳に基づいて行うものという考えが少なくとも日中韓を支配していた。
近代以前にはそういった仕組みがうまくいっていたのかもしれない、しかし現代において政治家にただ清廉を求めるのは無理というものだろう。
大体、政治家以外の人たちがお金を稼ぐことに一所懸命になっているところに、政治家にだけ公のために私利を捨てて尽す事を求められるわけがない。
しかしながら、建前としてそれが前提になってしまっているので政治家たちは公のために尽くしている振りをし、選挙民たちもそれが当たり前であるかのような顔をしている。
残念ながら、政治的権力を持つ者がそれを私的に利用して利益を得ることが日々あらゆる所で行われている。(と思われる)
先程述べた、政治とは清廉なものだ、という思想は、つまりはそう定義づけないと権力は暴走しまうからこそいわば“縛り”を設けようとした結果であると考えらなくもない。
他の国のことはわからない。しかし、日本においては権力を持った者が私的利益に走るという当然の現象が特別なもののように考えられている。
そんなことではこの状態はいつまでも変わらない。まずは権力が私利を追求するのは自然なことだということを前提にしなければならない。
その上で、そういう権力に歯止めをかけるにはどうしたらいいのかを考えなければならない。
これは簡単に答えのでることではない。私としては以上述べた基本的な考えだけを提示して、具体的な方策はしかるべき人たちに任せたいところだ。
しかしそれでは無責任という考えもあるだろうから、一応いくつかのアイデアは書いておく。
だが肝腎なのは我々の一人一人がこの問題を考え、より良い仕組みを作り上げることが重要なのだということは再度述べておく。
・政治家の報酬が少なすぎる。私利に走る必要がないくらい収入があれば金にこだわらなく政治がしやすくなる。
・政治家の生活基盤が弱すぎる。選挙に負けると無職になってしまう。その時に面倒を見てくれる人がいたらその人には逆らえなくなる。選挙に負けたとしても有力な候補者には報酬を払ってもいい。(これは確か橋爪大三郎氏のアイデア)そのかわりに政治評論や独自の政治活動またはジャーナリズムとして活動してもらい、現政権の批判勢力になってもらってもいい。
・政治家を免許制にする。国家資格に合格しなければ立候補すらできなくする。これは落選者に報酬を払うというアイデアを補強するものともなる。
・収入支出の一定額、そこそこ良い暮らしができるくらいの額、を越えたものは全て公開させる。これに違反したら即座に罪となるようにする。
・政治家の仕事を社会が進む方向を示すことに限定する。我々はそのビジョンを評価して投票する。実行はしかるべき専門家を雇って行わせる。当然、その専門家の選定プロセスはすべて明らかにしなければならない。
他にも現実的なもの、実行は難しそうなもの、様々考えつくことはできるだろう。しかし、くり返しになるが、要点は政治家に対価のない清廉潔白さを求めてはいけないということである。
追記:我々がいい仕事をするのはそうすれば評価されて報酬にも反映されるから。政治の世界ではそこが崩れているように見える。
追追記:政治と営利事業の違うところは政治では短期の利益より、将来の国の在り方を考えるべきだということ。
だから名誉職的な側面が大きい。しかし、それには限界が来ている感があるので改善しなければならないということ。