時事その他についての考察

政治は監視されなければならない。だとするとこれを監視し、我々に伝える公共機関があっていい

千葉県の熊谷知事が県民は議員や議会での活動などを見て欲しい、選挙での投票もそれを踏まえての判断であってほしい、SNS時代ではそれは容易だろうという趣旨の発言をしていた。

それはそうなのだろう。しかし、具体的にはどうすればいいのか。議員のブログやTwitterをフォローすべきなのか、議会のSNSでの発信を注視すべきなのか。

ぼくも、我々はある程度の時間と労力を政治に向けるべきだとは思う。そうでなければ民主主義を享受する資格がないと思っている。

しかし、そういった生の情報をすべて把握するのは流石に難しい。だって行政単位は県だけではないのだ。市町村、都道府県、国と、普通我々は三通りの行政機関の管轄下にある。

その三つのすべての行動や理念を把握するのは結構大変なことだ。

そう、そのために報道機関というものがある。

我々に変わって政治を監視し、それを効率よく発信してくれるべき機関。それが報道機関というものだ。

だが実際はどうだ。報道機関などは我々の心の中の質の低い部分に訴えることを仕事としてしまっている。

《政治的社会的に質の低い人ではなく、良識のある人でもその中の下世話な部分に訴える報道をしているということ》

それは、彼らも商売である以上仕方がない。

そうであるならば、それを行政がまかなってもいい。つまり、議員の言動、実績、議会での出来事などなど、我々が知るべきことを報道してくれる独立した行政機関があってもいい。

そんなに突飛な発想とは思わない。だって既に行政を監査する機関はあるでしょう。広報という発想だって初めは斬新なものだったはずだ。考えとして、これはその延長線上にあるだけだ。

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