あるイギリスの作家の小説を読んでいたら、予期していない所で手荷物検査をされそうになった人が、それを敢然と拒否して立ち去る場面があった。
もう少し説明すると、場所は高級リゾート地であり、状況としてはテニスの腕前を見込まれて、初対面のロシアの大富豪に試合を申し込まれたイギリス人が、後日(特別な区画にある)試合会場に入る所でそのロシア人の使用人に検査をされそうになったのを拒否したということだ。
どうだろうか。普通の日本人ならば、不審に思ったり、多少、不愉快になったとしても我慢して受け入れるのではないだろうか。
しかも、小説の中では、実は、オーストラリア人の案内人がいて「手荷物を開けて確認するだけですから」などと説得するのだ。しかし、そのイギリス人カップル(実は一人ではなく、カップルなのだが)はそれを拒否するのだ。
日本人とイギリス人とオーストラリア人とロシア人、誰が真っ当で、誰がそうでないのかは知らない。
その答えを探ると、民族や国家の成り立ちなどまで考えなくてはならないのだろう。
しかし、そういう意識を持った人たちがいるということは知っておかなければいけないだろう。
《もう一ついわなければならないのは、そのイギリス人カップルは、大学の教員と弁護士であり、つまりはインテリで社会的地位も高い人たちである。(まあ、高級リゾートに来ているくらいだから)そうして、案内人であるオーストラリア人は、そのリゾート地の職員であり、つまりは社会的地位もそう高くはない。だから、れは国民性の話であるとともに、社会的な階級の間での意識の差の問題でもあるかもしれない。いづれにしても、知っておかなければならないことに変わりはないが》
《ちなみにその小説はジョン・ル・カレの「われらが背きし者」で、その場面はほとんど冒頭に出てくる》