その初期においては絶対神という概念のままに民衆を支配できたこと。
後の時代では、答えのない問題を提起したことで、その答えを探すことで生まれた広範な思想を産み出したこと。
繰り返すが、ユダヤ、キリスト教を信じていない者にとってはその物語に謎に対する答えは、神などいない、聖書はつくり話、という単純かつ、明確な答えだけで充分なものだ。
しかしその、単純かつ、明確で、しかもおそらく正しい答えを出すことを禁じられている信者にとっては、それは答えの見つからない永遠の問いかけになる。
そうして、その問いを考えつづけたことが、キリスト教世界での思想や科学の発展の原動力となった。
ここに教訓があるとすれば、無意味なことでも、突き詰めると大きな成果を上げることがあるということだろうか。